22:00、定刻に竹芝を出航したさるびあ丸は、ゆっくり東京湾を進んで行きます。するとすぐに見え出すのはレインボーブリッジです。橋に取り付けられた照明によって、闇夜に吊り橋の鮮やかな姿が浮かび上がっています。
デッキでしばらく東京湾の夜景を楽しみながらわいわいがやがややっていると、ほどなく船は横浜のベイブリッジをくぐり、大桟橋に到着。ここで乗り込んできた乗客が落ち着いた頃、船室の照明が落とされ、就寝時間に。
それでもしばらくはあちこちからガタゴトという音がしていたり、逆に大いびきが聴こえてきたりで、二等席の私たちはなかなか寝付けないのでした。
朝の5時半ごろ船室の照明が灯り、5:50に岡田港に着きます、と案内がありました。デッキに出て見ると外はまだ真っ暗で、埠頭の明かりがボーっと見えるだけです。
案内の時刻に岡田港に到着し、あらかた乗客が下船したところで、自転車を担いで船を降ります。この船には、前回来た時よりもずと多くのサイクリストが乗っていました。彼らのほとんどは、港で自転車を組み立てて走り出しているようでしたが、私たちはそうはせず、まず宿で一休みします。港には今宵の宿のバスが迎えに来てくれているので、自転車を積み込み宿に向かいます。
私たちの宿は岡田港から上ったすぐのところの大島一周道路沿いにあるのでアクセスがよく、船が着いた日の朝食もいただけるので大助かりです。この時間からお風呂に浸かることもできます。
宿の前に咲く椿を眺めながら一休みし、準備を整え大島一周に出発します。今回は時計廻りです。
岡田港の入口を過ぎるとすぐ、左手に入る道があります。これはどうやら旧道のようで、少しアップダウンがありますが、車はほとんど通らず快適です。
この道に入って少し坂を上ると、『港が見える丘』という標識が建っています。ここから海を覗くと、左手には断崖絶壁が続き、その下に先ほどさるびあ丸が着いた岡田港が見えます。
晴れていればこの海の先に富士山が見えるそうですが、残念ながら空は厚い雲に覆われていて、この日は見えませんでした。
旧道はいったん新道に合流しさらにその先へと続くのですが、この合流点から先は通行止めになっており、いずれ近いうちに廃道になりそうな気配です。
新道の白いアーチ橋を渡り秋の浜トンネルをくぐって泉津に入ると、『秋の浜海水浴場入口』の小さな標識があります。この標識から海岸方向へ向かうと旧道に突き当たりました。短い間ですが海辺のこの旧道を楽しんで、一周道路が海辺に近付いてきたところでそれに合流します。
この先は100mほど続く椿トンネルです。ここの椿はかなり大きく、一般的にイメージするそれとはかなり異なります。
その中に『切り通し』と呼ばれるところがあります。ここは文字通り道が切り通されており、その一方の苔むした土塊の中にさらに幅1mほどの階段が作られています。その階段の両側にスダジイの巨木が二本立っており、独特の雰囲気を醸し出しています。この木の根っこは土の壁の上を這い、何メートルも伸びていきます。
この巨木を眺め、切り通しを上ると、頭上には空が見えないほどの椿の木が覆い被さっています。
『えっ、これ、本当に椿?』 と言うものが続出です。
普段見かける椿の木の高さはせいぜい5〜6mですが、これはいったい何メートルあるかしら。おそらく10mは超えているのではないでしょうか。
そしてその下には真っ赤な花が敷き詰めらています。
この先で木の枝を這い回るものを発見。この小動物は台湾リスです。元々大島にリスはいなかったそうですが、1930年代半ばに地元の動物園から逃げ出した群れが野生化したと見られています。台湾リスの好物は椿の実で、熟す前の若い実をかじっては木の下に落とすため、かなり前から駆除対象になっています。
近くには『ワナに注意』立て札が。これはリスではなく、キョンを捉えるためのものです。キョンは中型犬くらいの大きさの鹿の仲間で、比較的最近(1970年)、やはり動物園から逃げ出したものが野生化したといわれています。
『切り通し』のあとも椿トンネルは続きます。
椿トンネルの先でちょっと一周道路を逸れ、寄り道を。
ちょっとした坂道を上って行くと梅が咲き出し、下草が刈られたきれいな杉林が現れます。
この杉林の中にあるのが波治加麻神社(はちかまじんじゃ)。
その入口には簡素な木の鳥居が建ち、これをくぐれば、杉林の中に苔むした参道が続いています。
杉の枯れ枝がたくさん落ちていて、苔はかなり覆われてしまっていますが、この苔は地面がまったく見えないほどにびっしりと生えています。
苔の参道のあとは、ごつごつした根っこが這い回る林の中を行くようになります。
この石祠はなんなのかよく分からないのですが、うしろに見える真ん中が裂けたような木を祀ったものでしょうか。この森には木の霊がいる、と言われても驚かないような、ここはそんなところです。
入口の鳥居から100mほどで波治加麻神社の拝殿の前に出ます。
この拝殿も鳥居同様に簡素な造りですが、うしろにはきちんと本殿もあります。
拝殿の横には先ほど見たのと同じような石祠があります。
ここは本当に時が止まったように感じられる空間です。
波治加麻神社にお詣りしたあとは一周道路に戻り、大島公園へ向かいます。
ここも両側、椿の木ですね。
椿は海風に強いようで、防風林として昔から使われてきたそうです。大島には300万本ほどの椿が自生しているのだとか。
黒っぽい葉っぱの中に小さな赤い花がポツンと咲く様は、やっぱりどこか日本的な感じがします。
道はここまで上り基調ですが、まだ序盤なので余裕で大島公園に入ります。
大島公園の間を道が行くようになると、その両側の足元にはヤブツバキより大型の花を付けた椿がたくさん咲き出し、上には霞のような白い花が。
この白い花はなんと桜。大島桜です。暖かい大島ではもう桜が咲いているのです。
大島はこの時期、椿まつりの真っ最中です。大島公園はそのメイン会場となっており、様々なイベントが行われています。
で、ジオポタあんこ三人集の出来上がり。
ところでアンコはあま〜い餡子ではありませぬぞ。大島では目上の女性を『姉っこ』と呼び、それが『あんこ』となり、今ではアンコは写真のような衣装を着た女性を指すようになっているそうです。
さて、ここからは大島公園の椿園巡りを。なんとこの椿園にはヤブツバキ5,000本に加え、一千種に及ぶ3,200本の園芸種があるそうです。
花は色も大きさも様々なものがあります。これはかなり大型な赤。
ちょっとおしゃれな感じの薄紫。
華やかな白の斑入りも。
これは原種のヤブツバキに似ているけれど、少し花が大きいかな。
ちょっとだけ見たらならバラに見えるかも。
真っ赤なひらひら。
フリフリのピンク。
なんと黄色も。
ピンクの蕾はかわいらしい。
いい匂いのものや、ラフレシアかと思えるような超巨大な花など、花好きならここは一日楽しめそうなところです。
園内には大島桜も咲いていました。見頃でいい感じ。
この桜はヤマザクラの一種で、花と葉っぱがいっしょに出てきます。染井吉野の片方の親としても知られています。
大島公園で椿を堪能したら再び一周道路を廻り出し、次の目的地の大砂漠入口へ向かいます。賑やかな大島公園とはまるで違って、ここから筆島までは人家がまったくなくなります。そして、これまでもちょっと上りでしたが、ここからはもう少しきつくなります。
ほんのちょっと上ると、『石の反り橋』の案内板が。大島公園からはまだ本当に少ししか上っていませんが、もうみんな休憩が必要だということで、休憩がてらにこれを覗いてみることにします。
山の中に入り5分ほど上ると、それはありました。写真はちょっとわかりにくいのですが、ムカエルの頭の延長上にある黒いものが『石の反り橋』です。
クッキーが親指と人差し指で示しているように、『石の反り橋』はアーチ状の橋のように見えます。これは1552年の三原山大噴火で流れ出た溶岩によって出来たと言われており、長さは5m、幅は40〜50cmほど。溶岩トンネルの一部だけが残ったものなのかもしれません。
石の反り橋を見たら、上りの続きをやらなければなりません。ここからはしばらく下り無しのハードな上りが続きます。
わっせわっせとペダルを回し続け、あじさいレインボーラインの入口に到達。ここからあじさいレインボーラインを少し行くと『大島のサクラ株』があるのですが、出発が30分も遅れてしまったのでこれはパスし、大砂漠入口へ急ぎます。
勾配は6%から時に10%ほどになりますが、全員足を付くことなくなんとか上って行きます。
時々現れるフラットぎみのところでみんな息を整えて、次の上りへ向かいます。
大島公園から筆島までは海岸線から離れた内陸を行くことになります。道脇には木々が茂っており、あまり海の眺望はないのですが、時々ちらっとそれが現れます。
『あ〜、海、みっけ!』 と、はしゃぐクッキーでした。
えっこらよっこらと上っていると、山側に黒い砂の川が現れるようになります。これはあとではっきりするのですが、溶岩ではなく火山噴出物の一種のスコリアというものだそうです。これが現れたということは、大砂漠入口はもうすぐということです。
このあたりの道の反対側には、ちらっと海が顔を出しているのですが、空の色に呼応してそれはまだあまり魅力的な色にはなっていません。今日の天気予報は晴れだったのに、これは外れたな〜
黒い砂の川とまだ灰色の海を横目に進むと、また上り。
でももうすぐ大砂漠入口に到着とあって、ここは全員最後の力を振り絞ります。
道が下りに転じ穏やかなカーブを過ぎると、ようやく大砂漠入口に辿り着きました。ここからは徒歩で裏砂漠へ向かいます。
裏砂漠へのアクセスは『月と砂漠ライン』に入り、その突き当たりにある駐車場から歩くのが一般的ですが、月と砂漠ラインは斜度がきつい上に眺望もないので、ジオポタ向きではありません。というわけで、少々歩く距離は長くなりますが、この大砂漠入口から裏砂漠へ向かうことにしたのです。
大砂漠入口から一歩踏み出すと、足元には真っ黒なスコリアが。
ザクザクとスコリアを踏みしめながら裏砂漠を目指します。
振り返れば、真っ黒なスコリアの向こうに空に溶け込んだ海が見えています。
さらに上って行くと、周囲の木々が退き、地表には僅かなススキなどの植物が生えるだけになります。
この写真に6人の人物が写っているのがわかりますか。ここでは、ほぼ遠近感喪失状態に陥ります。人がいなければこの空間がどんなものなのかまったくわからない、ここはそんなところです。
進行方向を見れば、先には三原山の外輪山がゆったりとした曲線を描き、そこからずっと真っ黒な大地が降りてきています。山の上の方では、火山性なのか単に太陽の熱によるものなのかは判然としませんが、地面から白い煙りのようなものが立ち上っています。
この日は風がほとんどないのですが、大島公園のアンコさんによれば、大島名物の一つは風だそうです。キルピコンナが前回ここを訪れた時はもの凄い強風で、這いつくばるようにしないと歩けないほどだったといいます。風の強い日は用心を。
ここで足元を見れば、空隙がたくさんある直径5mmから30mmほどの石ばかり。これが火山噴出物の一種のスコリアというもの。
火山噴出物には気体、液体、個体があり、個体には火山灰、火山礫、火山岩塊などがありますが、スコリアは塊状で多孔質のもののうち黒っぽいのものを指し、これの白っぽいものは軽石と呼ぶようです。な〜んだ、スコリアって黒い軽石ってことね。
ま、それはともかく、この裏砂漠は真っ黒なスコリアで覆われた荒涼とした大地なのです。
ただの黒い軽石が作る光景がどんなものかは、へたな写真では到底表現できませんが、ここは必見の場所です。
裏砂漠の荒涼とした風景に魅了されたら、次は筆島へ向かいます。
大砂漠入口から少し南下すると、うしろに三原山の山頂が見えるようになります。
大砂漠入口以降も続いていたアップダウンは、連続するカーブのところで最後の上りを迎えます。
この上りが終わると、筆島までの標高差350mの豪快な下りが始まります。下には波浮港が見えてきました。これで大島一周の最難関である東海岸を抜け出ました。
ウインウイ〜ンと下って、下って、あっという間に筆島に到着。
このころようやく、空は青みを増してきました。
遠い遠い昔、まだ大島という島が出来る前、今から数十万年前に、この沖合に高さ1,000mを超える火山島があったそうです。その火山の噴火で放出された岩石が海食を受け、それに耐えて残ったのがこの筆島だとか。
韓国の済州島には『たった一つの塊』という意味のウェドルゲという名を持つ勇壮な岩がありますが、それは漢拏山(ハルラサン)の噴火によって形成され、その後波風の浸食を受けて現在の姿になったものだそうです。筆島は形も成り立ちもこのウェドルゲによく似ています。
筆島展望台から階段を下ると海岸に遊歩道が続いていて、白い十字架と『オタイネの碑』へ出られるのですが、この時はその入口にロープが張られ行けないようになっていました。仕方がないのでしばらく車道を進み、途中から遊歩道に入ります。
この遊歩道は表面が荒れてきたコンクリート舗装で少々走りにくいのですが、海が近くて気持ちいい。
筆島海岸を出るといよいよ波浮港(はぶみなと)です。港へ下る前にその上にある集落を覗くつもりでしたが、昼食の時刻が迫ってきているのでこれは後回しにし、昼飯処へ急ぎます。
右手にはあの三原山の頭が見えています。
波浮港は大島に六つある集落の一つで、それなりに建物が建ち並ぶようになります。
その中に波浮港見晴台があります。ここからはかつて火山湖だった港が一望にできます。その火山湖は1703年の小田原地震の際に大津波によって海とつながり、江戸時代の末期に崖を切り崩して港にされたそうです。
大島にやってきたら必ず立ち寄る波浮港の寿司屋が、どうしたわけかこの日は満席とのことで、クダッチという一風変わった地名のところへ向かいます。
日本の地名は漢字表記が多いですが、ここはカタカナ表記です。しかしバス停の名は『下地』で、クダッチに下地を当てたのか、下地をクダッチと読むのかは?
さて、なんとかクダッチの寿司屋のラストオーダーに間に合いました。ここは当然、地魚でしょう。あと、べっこうも食べたいよね、ということで、それを少し。
地魚は、カジキ、メダイ、メジ、カツオ、赤イカ、イワシ、トコブシ、キンメ、サザエでした。べっこうは白身魚のヅケで、かなりピリッとする島とうがらしが加えられています。この魚はメダイです。
地魚もべっこうもかなりいけます。それに、ここは吸い物がなかなかよかったです。
場所は違えど今回も寿司が食べられて満足満足、と、ちょっとまったりしたあと、波浮の港を散策します。
この港は、かつては遠洋漁業の中継基地としてかなり栄えていたそうです。昭和20年代の写真を見ると、ここに漁船が幾重にもなってびっしりと停泊しています。
そんな繁栄の時代である明治から昭和にかけて、ここには与謝野鉄幹や林芙美子など様々な文人が訪れています。
そうした文人の作品を記念してか、港からは階段で上る『文学の散歩道』があります。
この階段の途中にあるのが旧港屋旅館の『踊り子の里資料館』。
この建物は風の強い大島にしては珍しくも木造三階建で、千鳥破風の入母屋造り。
踊り子の里の踊り子は芸者のことで、この旅館は川端康成の『伊豆の踊子』の舞台としても有名です。ここでは当時の様子を人形で再現しているのですが、その表情が中途半端にリアルなので、ちょっと怖く、ちょっとおかしい。
別室には歴代の映画『伊豆の踊子』の、田中絹代から山口百恵までの写真も。
さらに階段を上って行くと、客の接待に踊り子を呼んでいたという明治時代の網元の屋敷、旧甚の丸邸があります。外壁はなまこ壁、塀は大谷石と豪勢。
この隣で赤地に白抜きの『たい焼』の文字を発見。ちょっと覗いて見ると駄菓子なども売っていてなにか楽しげなので、思わず中に入って、たい焼に大島牛乳やコーヒーを注文してしまいました。ソファーに腰を落とすとここで沈没。予定外の時間を費やしてしまうことになってしまうのでした。ありゃりゃ。
上のゾーンには龍王崎灯台や鉄砲場遺跡があるのですが、もうそこへ行っている時間はなくなりました。きれいな三角の利島など伊豆七島のうちのいくつかを眺めて、港へ下ります。
港の内側には狭い通りが一本通っていて、それに沿って小さな民家がびっしり建ち並んでいます。ここにはちょっとレトロな雰囲気がまだ少しだけ残っています。
波浮の港を出ると例のクダッチです。ここには大島では数少ない松並木が残っています。
今日の前半はかなりアップダウンがありましたが、ここからはほぼフラットになります。
大島の南海岸を走っていくと、所々で伊豆七島のいくつかが顔を出します。
きれいな三角は利島、その左手の平べったいのが新島でしょう。式根島と神津島も見えているのかもしれません。
伊豆七島を横目にずんどこ行けば、でた〜〜 バウムクーヘンの地層切断面!
高さ25mの縞縞模様が長さ600m以上に渡り続きます。ここは1953年の道路工事の際に偶然発見されたとのこと。うねうね度からすると褶曲かと思いましたが、実はそうではなく、繰り返す尾根と谷の地形に三原山の火砕物が降り積もってできたものだそうです。
『地層切断面ってもっと小さいものを想像していましたが、これは迫力ありますね〜』 と、驚愕のレイナ。
『これ全部食べるのに、何年かかるかな〜』 と、くいしんぼのクッキー。
『おいおい、そんなに食うたら腹こわしちまうゾー』
さて、バウムクーヘンでおなかがいっぱいになったら、一路元町へ。右手に三原山が見えてきました。
写真のもっとも高い部分が三原新山。その手前の水平なところが外輪山です。このあたりには表砂漠があるそうですが、あの黒っぽいところがそうでしょうか。外輪山の右端に見える赤い部分は『赤だれ』と呼ばれるところで、赤く見えるのは溶岩の中の鉄分が酸化したからでしょう。
元町の手前の野増に入りました。ここに一風変わった建物があるというのでちょっと寄り道です。それは御神火という焼酎を蒸留している谷口酒造のツバキ城です。
外壁は鉄平石で、その間から芝が顔を出しています。三角の屋根の頂部にはツバキの木が一本。そしてどこかから種が飛んできて根付いたと思われるユリが二本。ここは内部も是非拝見したかったのですが、販売所としては閉鎖されたようでこれは叶いませんでした。
ツバキ城のあとは一周道路に戻って元町へ向かいます。彼方にその元町が見えてきました。
クダッチで見かけた松並木ですが、ここにもそれは残っていました。その松並木をくぐってどんどこいくと、元町まではあっという間です。
元町港の横をすり抜け、浜の湯から始まるサンセットパームラインに入ります。
サンセットパームラインは元町から大島北西端の野田浜まで続く遊歩道で、大海原に沈む夕日が素晴らしいところです。
時は17:10。日没まで20分とちょうどいい頃合いです。
海の向こうに大きな島が見えるな、と思ったら、それは本土の伊豆半島でした。きれいに整った三角の大室山がはっきり見えています。
振り返ればあの三原山がバーン!
ここはうしろも前も素晴らしい。
サンセットパームラインの途中には、赤禿(あかっぱげ)という真っ赤な岩があります。
これは3,400年前の水蒸気爆発の際に降り積もったスコリアの塊で、中に含まれるの鉄分が酸化して赤くなったのだそうです。
『ヤッホー、ここはステキね〜』 と、夕陽を浴びて進むサリーナ。
綺麗な夕陽に見とれてばかりで、なかなか前に進みませんが、もうあとは宿へ向かうだけなので良しとしよう。
赤みを増した夕陽がゆっくり伊豆半島の向こう側に落ちていきます。
夕陽を堪能したらサンセットパームラインの終点の野田浜へ急ぎます。
野田浜にはバディベルなるものがあります。この前の海は砂浜と岩場があり、砂浜は海水浴場、岩場はダイビングスポットになっているそうです。バディベルのバディはダイビングのbuddyから来ているのだろうと思いますが、これはロマンチックなカップル用かな。
日が暮れる中、野田浜から上った一周道路に出る坂道はきつかった〜
大島初日の島一周はなんとか無事に廻ることができました。前半は曇りだったのが残念でしたが、それでも見どころ満載で変化に富んだこのコースは★★★です。
明日は三原山アタックです。さて、これはどうなるかな〜