恒例の鮟鱇ポタリングです。今回はみなさんの要望により宿泊企画とし、目的地はいつもの大洗ではなくその近くの那珂湊に。
去年は天気が悪かったのか走らずに食べに行っただけになりましたが、今年の天気は下降ぎみではありますがなんとか持ちそうなので、水戸駅から走ることにしました。
コースは2020年とほぼ同じで、水戸市内をさっと観光して那珂川を下り、阿字ヶ浦海岸に出て海沿いを那珂湊まで。
まずは駅前を流れる桜川に沿って千波湖へ向かいます。
何年か前にこのコースを走ったマージコは、もう自分の庭のような顔をして先頭を牽きます。
桜川の向こう側に柳の並木が現れ、木々の間から千波湖の湖面が覗きました。今日は薄曇りなのがちょっと残念ですが、ここは陽の光があるととてもきれいです。
桜川から千波湖湖畔自転車道に入りました。
千波湖は周囲3kmの湖で、ぐるりと自転車道が回っています。この道はまたジョギングロードでもあり、ランナーもたくさん走っています。
白鳥や鴨が泳ぐ千波湖の向こう側にこんもりした小山が見えます。あそこが日本三名園の一つに数えられる偕楽園です。
偕楽園は梅の花で有名で、この時期は梅まつりが行われています。
千波湖を半周して黄門像広場の前までやってきました。黄門さまの像はなんというか、あまりに観光的な気がして拝む気になりませんが、その前のテラスは眺めがいいです。千波湖を通して水戸の市街地が望めます。
水戸のまちは、南側は桜川と千波湖で、北側には那珂川が流れているため馬ノ背状で、天然の要害でした。かつて水戸城はこの馬の背の東端に立っていました。
さて、偕楽園に向かいましょう。偕楽園のすぐ下を常磐線の列車が通って行きました。
ここから見ると梅はちょうど良い頃のようです。
常磐線を跨ぐ歩道橋を渡ると、ぼけの花が咲いていました、真っ赤。
この歩道橋側からアプローチすると、右手に常磐神社、左手に偕楽園の東門が現れます。東門は現在は偕楽園でもっとも利用度が高くメインの門となっていますが、これは正門ではないので自転車を停めて表門へ向かいます。
表門は園の北側にあり、現在の状況からするとなんとなく裏門的な位置になるのですが、ここから入ってください。この門こそ、開園当初から続く正門なのです。空襲で焼けなかったのが幸いです。
表門を入るすぐに一の木戸をくぐります。その先は孟宗竹林と杉林。
この孟宗竹林はなかなか立派です。竹の数は千本以上とされています。
偕楽園は水戸藩の9代目の殿様である徳川斉昭が造ったもので、この竹は京都から取り寄せたものだとか。当時は弓の材料にしていたそうです。
孟宗竹林の向かいは大きな杉の林で、その足下はきれいなクマザサで覆われています。
ここにはこのクマザサ以外にもっと背が高いオカメザサも生えています。
メインアプローチからちょっと逸れた南西の崖下には『吐玉泉』があります。これはいわゆる噴水で、湧水を使ったものだそう。100t/日が今でも湧出しているといいます。ちなみに偕楽園の南に位置する桜山には日本最古の噴水ともいわれる『玉龍泉』が湧いていますが、これを造ったのも斉昭だそうです。
吐玉泉の白い石は大理石で、イタリアあたりから持って来たのかと思いましたが、これはこのすぐ近くの常陸太田市の真弓山で採れた寒水石というものだそうです。
吐玉泉からも杉林は続きます。この杉林の先には茅葺きの中門が立っています。
中門の先で道は二手に別れ、一方は好文亭に、もう一方は梅林に繋がっています。今日は好文亭の内部は見学しないので梅林に向かいます。
中門の先には簡素な造りの芝前門(しばさきもん)が立っています。これをくぐると、これまでの薄暗かった世界からパッと明るい空間に飛び出ます。
頭の上には真っ赤な椿の花。先には白と桃色の梅の花。この芝前門が陰陽の境目です。
斉昭の設計は暗いところからアプローチし、パッと開けた明るいところで梅の花を鑑賞するといったものだったのでしょう。この逆だと、杉林や竹林は沈んで見えてしまいます。
今日は残念ながら一面の曇り空なので輝くような世界とはいきませんが、この設計の効果が感じられるくらいの明るさはあります。
梅林についてはあまり説明するところはないので写真をご覧ください。
ここには六銘木というのがあり、それらの周囲には六角形の柵が施されているので探しやすいです。しかしこれらはみんな老木で、花をあまり付けないものもあるようです。ここに紹介したのはいずれも六銘木ではありません。
ほのかにピンク。
赤い枝垂。
薄桃色の八重。
やっぱり白が好き。
広重風。
紅白。
梅林と杉林の間にあるのが好文亭で、この建物は斉昭が詩歌や管弦の催しなどを通じて家臣や領民と共に心身の休養のために建てたもの。第二次大戦の空襲で焼けましたが復元されました。
好文亭からは梅林はもちろん、眼下には千波湖が、遠く西には筑波山も見えるといいます。現在は見えませんが、斉昭の頃は太平洋も見えたかもしれませんね。
偕楽園の周辺は公園として整備されています。
これは先ほど回って来た千波湖ですが、好文亭から見るともうちょっと俯瞰で広く見えます。
梅を楽しんだら偕楽園の東門を出て自転車をピックアップし、すぐ近くの茨城県立歴史館に向かいます。
この歴史館は屋内展示用施設の本館といくつかの屋外展示からなります。
これは1881年(明治14年)築の旧水海道小学校本館(移築)。レトロ感いっぱいで内部も楽しいです。
当時の教室が再現されており、特に給食がなつかしい。
あたしの時は脱脂粉乳だった! とか、饂飩はソフト麺だった〜 とかね。まあこれで年齢がわかるというものです。(笑)
栃木県から遥々やってきたベネデッタは千波湖畔に車を停めるのに手間取り大遅刻。それはともかく、なんとか走り出して水戸芸術館までやってきました。
ここには高さ100mのシンボルタワーが立っています。1辺9.6mの正三角形チタンパネル57枚を組み合わせたその姿は、スネーク!
昼飯時になりました。水戸といえば納豆ですが、これはさすがにメインディッシュにはならないので別のものを。
茨城県の奥地の奥久慈では軍鶏を飼っています。奥久慈軍鶏の歴史はそう古くはなく、昭和50年代に研究がスタートし、本格的に販売されるようになったのは1985年(昭和60年)のことなのですが、これがまずますイケます。
近くに奥久慈軍鶏を食わすところがあったので、そこで親子丼をいただきました。
さすがに軍鶏の平飼いだけあり、しっかりしたお味で美味しいです。
おいしい軍鶏をいただいたらかつての水戸城へ。
水戸城には5つの堀が巡らされていましたがその中でも現在まで堀とわかるのがここ。これは三番目の堀で深さ13mの空堀です。
この堀の東のブロックは『水戸市三の丸』。三番目の堀の内側なので三の丸ですね。
堀のすぐ東にはちょっとレトロな旧茨城県庁舎が立っています。
1930年(昭和5年)に建てられたこの旧県庁舎は外観はゴシック調で、玄関ホールの床は市松模様の石張り、大理石の階段と年代物のシャンデリアがあります。当時の県庁舎としては特別豪華なものとは言えないかもしれませんが、品格を備えた立派なものだと思います。
この建物は現在でも県庁の分館として現役で利用されているのもいいところですが、内部はリノベーションしてより快適にしたらいいでしょう。
旧県庁の横にはかわいらしい建物があります。これは1932年(昭和7年)に建てられた水道低区配水塔。
2階の窓周辺の飾りは消防ホースをモチーフにしたもので、当時はちょっとした話題になったそうです。平成11年(1999年)度まで現役だったそうで、国の登録有形文化財に指定されています。
旧県庁舎のさらに東側には弘道館公園が広がります。その中には江戸時代の水戸藩にとっては非常に重要な建物があります。
それは八卦堂(はっけどう)。この八角形の建物です。八卦堂の名は各面の上欄に八卦(易)の算木があることからだそう。
この建物がなぜ重要かと言うと、中に弘道館(水戸藩の藩校)の教育の基本を示した徳川斉昭撰文の講道館記を刻んだ石碑が納められているからです。この弘道館記念碑の石も常陸太田産の寒水石です。
弘道館記念碑は第二次大戦で大きなダメージを受け、さらに先の東日本大震災で一部が崩落しましたが、2013年(平成25年)に修復が完了しています。八卦堂内部は通常非公開ですがこの日は特別公開がされており、弘道館記念碑を見ることができました。
弘道館記念碑を眺めたら弘道館公園を行きます。
弘道館公園はこじんまりした公園ですが梅の花が咲き乱れています。この時期、偕楽園は人がいっぱいですがここは観光客はほとんどおらず、いつでも静かなのがいいところ。
弘道館公園の中核を成すのはもちろん水戸藩の藩校だった弘道館です。
弘道館は徳川斉昭により1841年に開かれました。当時の藩校としては最大規模だったようで、一般的な学問と武芸はもちろん、医学、薬学、天文学など幅広い分野の教育を行っており、現在なら総合大学とでも言うべき規模と内容を備えていたようです。
弘道館を出たら大手橋を渡り大手門をくぐります。この大手門は2020年(令和2年)に復元されたものです。
大手橋の下を走るのは県道の市毛水戸線ですが、ここはかつては水戸城の二番目の堀でした。
大手門をくぐり抜けるとそこは水戸城の二の丸です。ところがここの住所はなぜか水戸市三の丸。ん〜ん、なんで〜〜?
この水戸市三の丸に2021年(令和3年)に復元されたのが『二の丸角櫓』。ね、わけわかんないっしょ!(笑)
この隣にあるのは水戸第三高等学校! 二の丸なのか三の丸なのかはっきりせ〜って! でねぇ〜、水戸には第二高等学校ってのもあるんだけどね、それってさっきのお堀よりずっと外側にあるんだわよ。さっぱりわっかんねーぜ! 引っ越したのかな(笑) もっと言うとこのブロックには第二中学校ってのも、、、 え〜かげんにせ=(怒)
ところでこの二の丸角櫓だけどね、伝統的な工法で建てられており鉄筋コンクリート造じゃないのはよかったけど、これをもっと生かすには周辺の再整備が必要かも。
二の丸角櫓から東へ向かうと樹齢400年と言われる大きな椎の木が二株あり、その脇に見晴台へ続く門があります。この見晴台からは那珂川が一望にできるのですが、時間が押しているのでこれはまたの機会に。その先には杉山門が立っています。これは水戸城二の丸の北口にあった門で、ここから那珂川へ下る坂を杉山坂と言います。
杉山門からさらに東へ行くと橋が出てきました。この橋の名は本城橋といい、下をJR水郡線が通っています。本城橋の名から推測できるように、この橋の向こう側が水戸城の本丸です。つまり現在JR水郡線が通っているところはかつては堀だったわけです。かなり深いです!
本城橋を渡ったところにあるのは水戸城址、と思いきや、そこは水戸第一高等学校でした。なんと水戸城の跡は高校になっていたのです。
しかしその水戸第一高等学校の敷地内には水戸城で唯一残るとされる薬医門が立っていました。水戸城は第二次大戦の空襲で焼失しており、その遺構はほとんどないのですが、この薬医門は当時は他の場所に移築されていため焼失を免れたということです。
ちなみに水戸第一高等学校が立つところも水戸市三の丸でした!(笑)
水戸城の薬医門を眺めたらちょっと戻って杉山坂を下り、那珂川に出ます。
那珂川は関東三大河川の一つとされ、また関東随一の清流として知られています。栃木県の那須岳山麓に源を発した流れは150kmの旅をして、茨城県のひたちなか市と大洗町の境界で太平洋に注ぎます。今日の目的地はこの那珂川の河口です。
那珂川左岸の土手上は自転車道風に整備されています。
ここからはこの土手上を7kmほど行きます。
どんどこ!
この自転車道、土手が何ヶ所か切れていて、その度に自転車を降りて土手の乗り換えをしなければならないところが残念。でも完全ジオポタ専用道だから快適ですわ。
先に斜張橋の新那珂川大橋が見えてきたところで土手を下り、カントリーロードでひたちなか海浜鉄道の秘境駅、中根駅を目指すのですが、土手下が工事中でこの前来た時はあった道がなくなっていました。戻って別のところからアプローチします。
するとこんな林の中を行きます。
田んぼの縁に出ました。上には大きな椿の木があり、道に真っ赤な花を散らしています。
のどかで良い道。予定ではこの先でひたちなか海浜鉄道のちっちゃなディーゼル車両が走るのが見えたはずなのですが、行程が遅れていたため、すでに過ぎ去ったあとでした。
ひたちなか海浜鉄道の中根駅に到着。
なんとここでは早、桜が満開です。いや、これは早いと言うものではありませんね。ソメイヨシノではなく早咲きの品種なのでしょう。
一足お先にお花見です!
お花見の次は横穴墓群へ向かいます。
民家の庭先に穴が開いた岩がありました。これもお墓でしょうか。
畑の中を進んで『十五郎穴』と名が付いた横穴墓群に到着。この横穴墓群は奈良時代を中心に約一世紀にわたり造られたそうで、総数は300と推定されています。
このすぐ北には古墳時代末期の7世紀初頭頃の築造と推定される前方後円墳で彩色壁画が発見された虎塚(とらづか)古墳があります。このあたりは東中根台地と言われるところで広範囲に凝灰岩が露頭しているのですが、面白いことに横穴墓群はこの周辺1.5kmだけにしかありません。
十五郎穴で古代に思いを馳せたら、休憩ポイントに向かいましょう。
このあたりはまだ那珂川の引力圏のようで、小さな用水路沿いにずっと田んぼが続いています。しばらくこの用水路沿いを行きます。
田んぼの外側には左右とも小高い林が続いています。
この地形は谷戸にも見えますが、おそらく河岸段丘でしょう。
田んぼを出て坂道を上って行くとこんどは畑が広がっています。ここは先ほどの田んぼより標高で20mほど高いです。
旧道らしい道に入るとそれは湊街道で、そこに伝統的な雰囲気の醤油屋さんがあります。
ここには醤油アイスクリームというものがあるので一休みしようと思っていたのですが、この日は日曜日だったので残念ながらお休みでした。
アイスクリームは諦めて次の目的地、酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)に向かいます。
ここはまたまた畑。そうそう、茨城県は干し芋の生産が盛んでその国内シェアはなんと9割。このあたりは茨城県の中でももっともその生産が多いところの一つで、近くには直販所がたくさんあります、
酒列磯前神社に到着。
このあたりには有名な神社が二つあり、ここはそのうちの一つです。もう一つは大洗磯前神社で、これら二つは同じ縁起を持っています。簡単に言えば兄弟神社ですね。
ここにはちょっと驚くものがあります。それは樹叢(じゅそう)。表の鳥居から参道に入ると両側に奇妙な形の木が立ち並んでいます。これが樹叢です。
樹叢とは自生した樹木が密生している樹群のこと。つまりこの参道の木々は人の手によって植えられたものではなく、自然に生えたものということです。
参道の長さ300mに渡り、タブノキ、ツバキ、オオバイボタ、スダジイ、ヒサカキといった常緑広葉樹の古木が並んでいるのです。これらの木々は参道の上まで左右から枝葉を伸ばし鬱蒼と茂っているので、まるでトンネルの中を行くようです。太い幹から長い腕をくねらせて伸ばしているように見えるタブノキはほとんど巨人。この中には樹齢300年を超えるという椿の古木もあります。
この樹叢には一ヶ所、僅かに開いているところがあります。そこには小さな鳥居が立ち、その向こうに阿字ケ浦の海岸が見えます。
300m先にはもう一つ鳥居が立っています。この鳥居の先に見えるのが酒列磯前神社の拝殿です。
拝殿のうしろには流れ造りの本殿があります。
こうして見ると樹叢は参道だけでなく、境内をぐるりと取り囲んでいるようです。
拝殿正面上には日光東照宮の『眠り猫』で有名な左甚五郎作と伝わる『
酒列磯前神社にお参りしたら坂道を下って磯崎漁港へ。
もう夕方なのでここに所属する船はほとんど停泊しているようです。
磯崎漁港のすぐ北は阿字ヶ浦海岸です。ここの海岸線はちょっと複雑で、磯崎の名から推測できるように磯崎漁港から南は磯場なのに対し、そこから北は砂浜のビーチが広がっているのです。
ちなみにジャンプしている面々の後方左手には、コキアやネモフィラで有名な『国営ひたち海浜公園』があります。
阿字ヶ浦海岸を覗いたら海岸道路の水戸那珂湊線を南下し、本日の目的地の那珂湊に向かいます。
平磯海岸まで下ってきました。
磯崎海岸からここまではガチャガチャした岩場が続いていましたが、ここはこれまでとはちょっと違った形状の岩場があります
これは中生代白亜紀層というものです。
恐竜が繁栄したジュラ紀は良く知られていますが、白亜紀はその次の代で、恐竜が絶滅したころです。この岩場はそのころ形成されたもので、岩の柔らかい部分が波で浸食され、のこぎり状のギザギザになっています。そして30°ほど傾いているのが特徴なのだとか。このあたりからは7,500万年前に生息していたアンモナイトやヒタチナカリュウ(翼竜)が見つかっています。
平磯にも漁港がありました。このあたりは太平洋にバーンと面したところなので港は作りにくそうですが、数kmごとに港があることを考えると、かなり良い漁場が近くにあるのでしょうか。
この漁港は面白いことに内側にビーチを持っており海水浴ができます。この海水浴場のシンボルは全長15mもある水上滑り台の『くじらの大ちゃん』。
平磯の次はいよいよ那珂湊です。那珂湊にも当然漁港があります。那珂湊港は水戸から土手を走って来た那珂川の河口に築かれています。
この漁港は戦後、茨城県唯一の遠洋カツオ・マグロ漁業の基地としてかなり発展したようですが、その衰退により現在は小型船による漁業が中心となっています。
那珂湊で有名なのは漁港のすぐ前にある『那珂湊おさかな市場』。
ここは近海で獲れた魚介類などを扱う十数軒の店舗が軒を並べていて、いつも大賑わいです。この時はすでに店仕舞の最中でしたが、駐車場には茨城県内はもちろん、県外ナンバーの車もたくさん停まっています。
今日の最終目的地はこのおさかな市場からすぐのところにあるレストランがちょっと人気のホテル。私たちが着いたちょうどその時、水戸駅から走って来たというマコリンも到着し、いざ宴会開始。
目的のあんこう鍋の前にたくさんお皿が並んでいて、鍋に行き着く前にお腹がいっぱいに。鍋は持って帰れないのよね〜(笑)