今日は会津若松を出て喜多方を経由し、磐越西線に沿って野沢まで行きます。しかし天気がちょっと怪しく、午後には崩れそうな予報なので、どこまで行けるかは天気次第。
東山温泉の有馬屋さんで伝統的な日本食の朝ご飯を頂いたら、早々に出発です。
東山温泉は会津の街から湯川に沿って山の中に入ったところにあるので、まずは街まで下ります。
下り出すとすぐ道は湯川大町線に合流。うしろには東山温泉の奥にある背炙山が見えます。
昨日訪れた鶴ヶ城の南を流れる湯川(ゆがわ)の土手上には快適な道があるのでこれに入ります。
この土手道をどんどこ西へ向かうと、うしろに会津の東に横たわる山々が見えてきます。
これを見ると会津はぐるりと山で囲まれているのがわかります。
只見線の線路を越えたところで、シロスキーは体調があまり良くないので、西若松駅から輪行することにしてレイナがこれに付き合うことに。昨日は気温が35°Cもあり、それがこたえたのでしょう
残ったベネデッタ、サリーナ、サイダーの三人は予定の通り自転車で喜多方を目指します。
湯川はこの先で阿賀川に合流し、左岸の道はなくなるので右岸へ渡ります。
その阿賀川がこちら。
阿賀川は福島県での名称で新潟県に入ると阿賀野川と呼ばれる比較的大きな川で、地図で見てもそれなりの川幅に見えるのですが、意外にもこのあたりの流れは細く、ちょっと拍子抜け。
阿賀川の土手に入ったところから東を見れば、あの磐梯山(1,816m)がうっすらと見えます。
1888年に山体崩壊を起こしたこの山は、見る角度によっては双耳峰のように見えることもありますが、ここからは吹き飛んだところが山頂の影になっているようで、比較的整った形をしています。
会津坂下河東線を渡ると『道の駅あいづ湯川・会津坂下』があります。まだ10時前なので静かですが、施設はかなりの規模でびっくりです。駐車場広い〜!
ここは会津と喜多方のちょうど間辺りになるのですが、この大施設を満たす需要はどうなんでしょうか。もっとも道の駅にはかなり遠方からやってくる方もいると聞くので、意外と賑わうのかもしれません。
さて、この道の駅でトイレ休憩したらここで阿賀川を離れ、勝常寺へ向かいます。勝常寺は会津中央薬師堂とも称されるお寺で、本尊の薬師如来像と両脇侍像の日光、月光は国宝、四天王像など9点の仏像と薬師堂が重要文化財に指定されています。
その勝常寺があるのは田んぼのまっただ中で、先に見えるこんもりした森の中です。
『わ〜ここ、田んぼばっかりね〜』 と水が張られ、ちょうど田植えがされたばかりのきれいな田んぼに感動のベネデッタ。
先に小さな集落が見えてきました。宮前丙というところのようです。
この宮はどこなのかよく分かりませんが、少し先に稲荷神社があるのでこれかもしれませんし、勝常寺のすぐ横に宗像神社というのがあるのでこちらかもしれません。
田んぼの中に一ヶ所だけこんもり茂った杉木立があります。
こうしたものはある家や一族のお墓であることが多いですね。
宮前丙で進路を北にとると正面が勝常寺です。
この集落は言わば勝常寺の門前町なのですが、それらしい雰囲気はあまりありません。それなりに古い建物はあるのですが、みんな農家型の造りで、門前町によくある商家や宿といった造りの家が見当たりません。勝常寺は807年に開かれたとされるそれなりに歴史あるお寺ですが、門前町が発達するほど有名ではなかったのかもしれません。
勝常寺に到着。このお寺は、創立当時は七堂伽藍に加え多くの付属屋を有する一大寺院であったそうですが、現在は室町時代初期に再建された講堂(現薬師堂)などいくつかの建物があるだけで、かなりこじんまりしています。
最初に現れたのは仁王門で、その上部には巨大な草鞋が奉納されています。
正面からは草鞋に隠れて見えにくいのですが、その裏側には金剛力士像が納められています。阿吽ですね。
こちらは『阿』
こちらは『吽』
どちらも素朴といえる造りで、腰蓑に藁のレッグウォーマーを履いているのがいかにも北国的でしょうか、
仁王門をくぐるとそこにはバックホー・ショベルカーが置かれていて、何か工事をしていました。作業員さんによると参道をやりかえているそうです。
まあそれはともかく、参道の突き当たりにあるのは薬師堂です。
国宝の薬師如来像や日光・月光両像などは元はここに納められていたずですが、現在はこの横にある収蔵庫に保管されているそうです。
この時は他の博物館に貸出し中で拝観できなかったのが残念。
平安時代初期の勝常寺と今日は見られぬ薬師如来像に思いを馳せたら喜多方へ向かいましょう。
勝常寺からは阿賀川に戻らずに田んぼの中をどんどこ。
勝常寺に参拝できたので満足気な仏女サリーナ。
このあたりの田んぼはちょうど田植えの時期で、早いところはすでに終えていますが、そうでないところは今その真っ最中です。
北に福島県と新潟県、山形県の三県にまたがる飯豊山地(いいでさんち)の山々が見えてきました。
左はその最高峰の大日岳(2,182m)、右は飯豊山(いいでさん、2,105m)で、あのあたりは磐梯朝日国立公園に指定されています。みんなまだ雪を冠っていますね。
喜多方のまちに入りました。ここで有名なのはやっぱりラーメンでしょう。ということでお昼はラーメンをいただくことにしますが、それまでは少し時間があります。喜多方は蔵のまちとしても有名なので、まずはまち巡りをして、そのあとラーメンを頂くことにしましょう。
私たちがアプローチしたのは小田付(おたづき)という地区で伝統的建造物群保存地区に指定されたエリアで、さっそく蔵が見えてきました。
その最初の蔵は『蔵屋敷あづまさ』という大米穀商の屋敷を改修した食事処だったので、ここで一休みすることに。
今日は昨日と違って気温は25°Cほどなのですが、なぜか全員アイスクリームを注文しました。そしたらコーヒーをサービスしてもらっちゃった。
ここは食事処とともに土産物屋もやっており、蔵の中には会津塗りなどが並んでいました。この蔵の入口の扉の厚みがすごいです。50cmくらいあったかな。段々になっているのは左右の扉と枠とが嵌合して火災時に蔵の中身を守るためです。
私たちがアイスクリームを頂いていたころ、シロスキーは西若松駅から会津若松駅まで移動していました。ここに付くまで、番線を間違って教えられたり、エレベーターがなくて重い自転車を階段を担いで上り下りしなければなかったりと、ちょっと大変だったようです。そしてやっと着いたと思ったら、野沢まで行く電車は3時間後でドヒャー!
仕方がないのでシロスキーは駅近くで時間を潰し、レイナは次の電車で喜多方へ向かい自転車組と合流することに。
この通りは『おたづき蔵通り』と言われているようで、東は東町、西は西町でわかり易いです。ところが東町と西町の北は南町。なんで北町じゃないの〜?
この角には大きな洋館が立っています。喜多方には蔵が沢山残っていますが、所々にこうした洋館も見られます。
南町に入って行きます。このあたりが小田付でもっとも蔵が残っているエリアでしょうか。
これは小原酒蔵。
モーツアルトを聴かせてつくったという日本酒で、名前にアマデウスやマエストロなどと付いているものがあります。
ここも昨日の末廣酒造同様に酒蔵見学ができるのですが、今日は天気が心配なのでこれはパスして先へ急ぎます。
この小原酒蔵の屋根を見て気が付いたのですが、ここも会津同様に赤瓦が載っています。
小原酒蔵の向かいにあるのは竹工房たけや。
喜多方の雄国地区には江戸時代から伝わる竹を竹ひごに加工して細工する『雄国の根まがり竹細工』があり、これを始めとする様々な竹細工が売られています。工房の見学したり竹細工を造ることもできます。
これは雑貨屋さんのようです。明治蔵とあるので明治期に建てられたものなのでしょう。玄関は煉瓦のアーチで洋風です。明治期にこの洋風な造りは、この地としてはかなり時代の先端を行くものだったことでしょう。
その隣は土壁っぽい仕上の建物です。腰に隣の明治蔵と同じ煉瓦が用いられています。
おたづき蔵通りの蔵には平入りと妻入りとがありますが、どちらかと言うと妻入りの方が多いようです。平入りのものは元々見世だった可能性が高そうですが、妻入りのものは元は物品を貯蔵するための蔵であったろうと思われます。
南町の先は中町で、そのさらに先に北町が出てきました。ふ〜ん。おたづき蔵通りは北から北町、中町、南町と並んでいることがわかりました。そしてそこで南北の町名が終わって東町と西町が道の両側にある。
北町に入るとちょっと面白い形の蔵が現れました。全体の形はオーソドクスな蔵ですが、玄関廻りが洋風ですね。この建物は明治初期に建てられた呉服店の蔵を改装したものだそうで、現在はワインの小売りをしている和飲蔵(わいんぐら)です。内部にはワインセラーもあり、会津のワインやお酒が買えます。
蔵が立ち並ぶおたづき蔵通りは北町公園で終わるので、ここからおたづき蔵通りに平行して通る一本西側の裏道で引き返します。
すると木々に囲まれた中に立派な門がある満福寺が立っています。この屋根瓦も赤いですね。
進路を西へとり月見橋で田付川を渡ります。喜多方の中心部はこの田付川の東西に発達し、東が先ほど通った小田付地区で西には小荒井地区があります。
その小荒井地区に入ると道の両側に良く似た色の蔵が立っています。看板には『会津型染處 れんが染色工房』とあります。着物の柄をつくるにはいろいろな方法がありますが、その一つに型紙を使うものがあります。喜多方には有形民俗文化財に指定されている会津型と呼ばれる染型紙がありました。洋服の広まりによってこの型紙が作られることはなりましたが、今から40年ほど前に蔵から大量の型紙が発見されたそうです。ここはその紋様を使った型彫り体験などができるようです。
左は伝統的な造りの家で、喜多方にはまだこのような建物が比較的多く残っています。
右は蔵ですが、入口廻りが伝統的な形状ではなく西洋のデザインの影響を受けているのが見て取れます。また蔵の屋根は耐火構造の本体の上にのっかっているだけで、蔵本体と屋根の間には空間があるのですが、おそらくメンテナンスの問題でここでは塞がれています。
小荒井地区を貫くメインストリートの『ふれあい通り』に出ました。小荒井地区は現在の住所で言うと喜多方市一丁目、二丁目、三丁目あたりで、そこに蔵造りの建物がポツポツと並んでいます。
この通りで有名な『旧甲斐家蔵屋敷』は現在保存修理工事中で見学できないので、『中の越後屋醤油店』から南へ向かうことにします。
この中の越後屋醤油店の蔵は明治初期に建てられたもので、看板にあるようにここは味噌や醤油を扱う商店です。『三五八(さごはち)』は麹で漬けた漬物である『三五八漬け』の素となる漬け床のことで、塩、麹、蒸米を3:5:8の割合で混ぜあわせたのが名前の由来だそうです。三五八漬けは、福島県、山形県、秋田県の郷土料理です。
島慶園はお茶やさん。
この見世蔵は1930年(昭和5年)のものだそうで、この奥に商品蔵もあります。抹茶ソフトクリームがあるようですがアイスクリームはさっき食べたからね。
ふれあい通りに立つのは当然蔵ばかりではなく、ごく一般的な建物もたくさん立っています。もうちょっとがんばると街並みに統一感が出ると思います。
がんばれ〜
さすがにラーメンで売っている喜多方、ここにはラーメン神社なるものがあり、びっくり。
鳥居のうしろの建物は江戸時代の見世蔵を改装したものだそうで、なかなか立派です。ここは喜多方ラーメンのミュージアムとコミュニティースペースになっています。
若喜商店は江戸時代(1755年)から続くという味噌と醤油の醸造元で、店舗は1931年(昭和6年)築。
土台廻りはイタリアから取り寄せたという大理石で、外壁はスクラッチタイル。内部は天井まで漆喰が塗られています。当時としてはハイカラな建物で、商品もそれに合わせ、バターやチーズ、そしてコーヒーの挽き売りもおこなっていたそうです。
若喜商店には店舗のうしろに1904年(明治37年)築のレンガ蔵があります。このレンガ蔵は、二階建の座敷蔵と三階建の道具蔵とでできています。
レンガの蔵というのはちょっと珍しいですね。喜多方は1880年(明治13年)に大火があり、これをきっかけに蔵の防火性が注目され、その後多くの蔵が建てられました。このレンガ蔵が建てられた年に鉄道が開通するとこの近くにレンガ工場が建てられ、そのレンガを用いた蔵がたくさん建てられるようになったそうです。
時は正午。ちょうどレイナが若喜商店の前にやってきたのでこれからいっしょに昼食にします。良い時間になってしまったので、街中のラーメン店はどこも混雑しているので、お世話になった東山温泉の有馬屋さんのご主人が推薦してくれた、ちょっと郊外にある『食堂はせ川』に行ってみることにしました。
その途中に造り酒屋の大和川酒蔵がありました。福島県は全国新酒鑑評会で今年10連覇がなるか注目されている酒どころです。ここには北方風土館という、蔵を利用した展示施設があります。
食堂はせ川へ向かう途中、旧日中線の線路跡にしだれ桜並木がありました。この並木は3㎞ほど続き約千本のしだれ桜が並んでいます。並木の間は自転車歩行者道になっています。
この時、ついに空からポツンと冷たいものが。。。
食堂はせ川さんはなんとお休みでした。今日は金曜日なので通常なら営業しているはずなのですが、臨時休業のようです。仕方がないのでベネデッタがチェックしてくれていた『一平』さんに向かいました。
一平に着くと雨が強くなってきました。本降りになる前に辿り着けてよかった〜
さて、一平では私たちの前に7〜8名ほど並んでいましたが、ラーメンですから回転が早く、10分ほど待つと入店できました。
その間前の方から仕入れた情報によると、ここは背脂が多い『じとじとラーメン』が売りだそう。しかし私は脂が多いものはあまり好きではないので、普通の脂の量のネギラーメンを頂きました。このネギラーメン、ネギはもちろん、チャーシューがどっさり。これにて喜多方ラーメンのノルマ達成!
雨は本降りになっており、今後の快復も見込めないことから、本日の走行はここまでにし、喜多方駅から輪行することにしました。ベネデッタは今日帰宅しなければならないのですが、一平を出る段になって列車の時間を1時間間違えていたことに気が付いて大慌て。
だだっと自転車に飛び乗って、急いで喜多方駅へ向かいました。
結局、喜多方駅には出発の30分前に到着して楽勝だったのですが、脅かさんといてよね〜(笑)
美女三人そろい踏み〜(笑)
ベネデッタが会津若松方面行きの列車に無事乗車したのを見届けたあと、レイナ、サリーナ、サイダーの三人は野沢方面行きに乗り込みました。するとなんとそこにシロスキーがいるではないですか。シロスキーは会津で3時間ぶるぶらして、この列車に乗り込んだのでした。偶然にも雨で私たちが同じ列車に乗ることになったのです。
30分ほど車内でシロスキーの話を聞いて盛り上がり、そろそろ話のネタが尽きた頃、野沢駅に到着。
雨はいっこうに上がる気配がなく、依然降り続いています。野沢駅から今宵の宿までは2kmほどなので、小降りになるのを待たずに出発します。
今晩お世話になるのは源泉掛け流しの温泉がある宿で、着くなりさっそく濡れた身体をその温泉で洗い流しました。
あ〜さっぱり!
そのあとゆっくり夕食にありつきました。
この夕食でちょっとびっくりしたものがあります。これです。饅頭の天ぷら。会津地方の郷土料理らしく、長野県や岐阜県などにもあるそうです。デザートなのだと思いますが普通の天ぷらといっしょに出て来るので、知らないで食べると『わわわわ〜、なんじゃこりゃあ〜』状態になります。(笑)
さて、今日は雨で喜多方以降がすっぽり抜けてしまいましたが、仕方ありませんね。この雨、今日中には上がるようなので、明日に期待しましょう。明日はここ野沢から咲花温泉へ向かいます。