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奥の細道3 出羽路

開催日 2022年9月7日〜
参加者 マージコ/ミルミル/マサキン/ナオボー/レイナ/コテッチャン/チコ/サイダー/サリーナ
総合評価 ★★
難易度 ▲▲
走行距離 442km
地域 東北

山寺
山寺

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング奥の細道の第3ステージ『出羽路』は、尿前関から山寺、出羽三山、そして日本海に出て象潟で折り返して鼠ケ関まで。

基礎情報:奥の細道1 日光路2 奥州路4 北陸路Ⅰ5 北陸路Ⅱ

地図:GoogleマップgpxファイルRide With GPSトライアル記録

発着地 累積距離 標高 コース・見所、奥の細道の句
Stage3 出羽路 442km
尿前関
旧有路家
START
0km
748km
345m 尿前関を越えて、第3ステージは出羽路。その初日、芭蕉たちは案内に若者を頼み、山深く寂しい道を進みます。いかにも山賊が出そうな名前の難所『山刀伐峠(なたぎりとうげ)』を越え、尾花沢に到着。
尾花沢
養泉寺
31km
779km
100m 尾花沢では、紅花を扱う豪商で旧知の俳人の鈴木清風を訪ねて宿泊。翌日からは宿を養泉寺に移し、俳人たちの様々なもてなしを受け、尾花沢には10泊と長逗留します。
 涼しさを わが宿にして ねまるなり
 這ひ出よ 飼ひ屋が下の 蟾(ひき)の声
 眉掃を 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花
 蚕飼する 人は古代の すがた哉  曾良
立石寺
(山寺)
68km
816km
250m 尾花沢の人々の勧めがあって、芭蕉一行は南に向かい、立石寺を訪ねます。慈覚大師円仁により860年に建立されたこの寺は通称『山寺』と呼ばれ、花崗岩の険しい岩山のあちこちに御堂が建ち並んでいます。崖をめぐり仏閣を拝み、静かな景色に心が澄み渡るのを感じて、この有名な一句。
 閑さや 岩にしみ入 蝉の声
石段を上った中腹の五大堂からは素晴らしい景色が見渡せます。
大石田 105km
853km
60m 立石寺から馬を借り、天童、六田を通って最上川の水運の拠点、大石田に到着。船問屋の高野一栄宅に泊まり、近くの向川寺を訪ねたりしています。熱心に俳諧の指導を請われた芭蕉はここで3泊。芭蕉の句会の発句は『五月雨を 集めて涼し 最上川』。後に改訂されて、この名句に。
 五月雨を 集めて早し 最上川
新庄 133km
881km
100m 大石田からは北へ、馬で猿羽根峠を越え、舟形宿を通り新庄城の城下町に到着。風流(渋谷甚兵衛)宅に泊まる。芭蕉が途中で通過した『柳の清水』を詠んだ句が、曾良の書簡にあります。
 水の奥 氷室尋ぬる 柳哉
翌日、渋谷盛信(九郎兵衛)宅での句会でもう一句。
 風の香も 南に近し 最上川
本合海
矢向神社
143km
891km
40m 新庄を発った芭蕉たちは本合海(もとあいかい)で舟に乗り、最上川を下る。すぐに右岸に八向楯と矢向神社が現れます。八向楯は八向山山頂に築かれた中世の城(楯)で、本丸南面の断崖中腹にある矢向神社は源義経も拝んだとか。我々は最上川に沿って陸路を下りましょう。
羽黒山 183km
931km
310m 芭蕉一行は清川で船を降り、狩川宿を経由して出羽三山の宿坊が集まる手向宿に到着。ここから羽黒山に登り、別当代のもてなしを受けて中腹にある南谷別院に宿泊します。翌日、住職の宿坊での句会で芭蕉が詠んだ一句。
 有難や 雪をかほらす 南谷
出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山の総称で、羽黒派古修験道の山。芭蕉と曾良は、まず羽黒権現(現在の出羽神社)に参拝します。
 涼しさや ほの三か月の 羽黒山
月山 216km
964km
1970m 翌日、芭蕉たちは強力に案内してもらって月山へ。羽黒山は標高414mですが、月山は1984m、これはもう本気の登山です。霧が立ち込め凍えるような山道を登ること30km以上、頂上の月山神社を参拝し、山小屋に宿泊。
 雲の峰 幾つ崩て 月の山
湯殿山 221km
969km
1070m 月山から尾根道を下りて湯殿山へ。その途中の谷の傍には『鍛治小屋』というものがあって、出羽国の鍛治が霊水を探し、身を清めて剣を打ち『月山』と銘を入れて高い評価を得たとか。そんな道を歩き、また岩に腰掛けて遅咲きの桜を眺める芭蕉。そして湯殿山では、山中のことは行者の法によって語ってはならないとされているのでこれ以上は記さない、とただこの一句。
 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
 湯殿山 銭ふむ道の 泪かな  曾良
鶴岡
鶴岡城
277km
1025km
20m 芭蕉と曾良はいったん羽黒山に戻って出羽三山詣での報告をして、そこから鶴岡へ向かい長山重行宅へ。出羽三山巡りの疲れから体調を崩した芭蕉ですが、振舞われた地元食材の『民田(みんでん)茄子』が美味しいと、こんな句を詠みます(曾良の書簡)。
 めずらしや 山をいで羽の 初茄子(はつなすび)
鶴岡市の中心、お堀や石垣の残る鶴岡城址は現在、水と緑の美しい鶴岡公園として市民の憩いの場となっており、周囲には庄内藩校致道館致道博物館など見所がたくさんあります。
酒田
日和山公園
305km
1053km
10m 芭蕉たちは、鶴岡城城下町から舟で酒田へ。私たちは陸路を川沿いに走ります。酒田では、医師で俳人の伊東玄順邸(不玉亭)に宿泊。時は新暦で7月末、暑さの盛りの中で詠んだ句。
 あつみ山や 吹浦かけて 夕すヾみ
 暑き日を 海にいれたり 最上川
酒田湊は最上川の水運の拠点、そして北前船の寄港地として発展しました。そんな雰囲気を残す山居倉庫日和山公園などが見所。土門拳記念館もお勧めです。
吹浦
鳥海山大物忌神社
325km
1073km
5m 酒田を出て象潟を目指す芭蕉と曾良ですが、大雨に降られて吹浦に宿泊となりました。吹浦には鳥海山を御神体とする鳥海山大物忌神社があり、その門前町として発展したそうです。ここは鳥海山登山口(大平口)や展望台まで上り、象潟へとつながる道路『鳥海ブルーライン』の南の出発点となっています。
象潟
蚶満寺
345km
1093km
10m 雨の中、象潟に到着した芭蕉たちは宿をとり、翌朝から見物に出かけます。芭蕉が訪れた1689年当時は海辺の一皮内側に湖が広がり(古象潟湖)、鳥海山を背景にいくつもの小さな島が浮かんで松島と並び称される美しい景色だったとか。その後、1804年の象潟地震で土地が約2m隆起したため湖は干上がり、現在は田んぼの中に島が浮かぶ独特の景観を見せています。
湖に舟を浮かべ、能因法師が過ごした能因島を訪ね、蚶満寺に上陸してお寺の方丈から景色を見渡せば、鳥海山の姿が映る象潟湖が一望に。芭蕉曰く、松島に似ているが松島とは違う。『松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり』。
 象潟や 雨に西施が ねぶの花
 汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し
象潟
熊野神社
347km
1095km
5m その後、芭蕉たちは熊野神社の例祭を見に行き、神楽奉納などを見物。蚶満寺から同行した美濃の商人宮部弥三郎(低耳)や地元の名主、俳人と共に夜まで楽しんでいます。
 象潟や 料理何くふ 神祭  曾良
 蜑(あま)の家や 戸板を敷て 夕涼  低耳(美濃の商人)
 波こえぬ 契ありてや みさごの巣  曾良
酒田 386km
1134km
10m 翌朝、芭蕉と曾良は象潟橋で再度鳥海山や象潟湖の景色を眺めた後、船で酒田へ向かいます。私たちは陸路を行きましょう。
酒田では以前と同じ伊東玄順邸(不玉亭)に宿泊し、一週間ほど滞在。ある日、芭蕉、曾良、不玉は酒田の豪商、近江屋三郎兵衛(玉志)に夕涼み会へ招かれ、初物の瓜でもてなされるのですが、『句なき者は喰うべからず』という遊びになって、芭蕉が即興で詠んだ一句。
 初真桑 四つにや断たん 輪に切らん
初物のマクワウリ、どうやって食べようか。。と楽しそうなこの句を含め4人の句は、芭蕉直筆の『玉志亭唱和懐紙』として現在、酒田の本間美術館に収蔵されています。
大山 408km
1156km
15m 芭蕉と曾良は、酒田の友人たちに見送られて大山(鶴岡市)へ。大山は、江戸時代には羽州浜街道の宿場町として発展したそうで、現在も旧羽州浜街道沿いに古い町並みを見ることができます。また、酒造業も盛んで幕末から明治にかけては全国有数の「酒どころ」と呼ばれていたそうです。2000年からは2月に『大山新酒・酒蔵まつり』が開催され、酒蔵めぐりも楽しめるとか。
温海 433km
1181km
10m 大山を出た芭蕉たちは、由良峠を越え、三瀬宿、小波渡宿、大波渡宿と羽州浜街道を南下していきます。道中、日本海の荒波で形成された奇岩なども見学しつつ、温海(あつみ)に到着。
鼠ケ関 442km
1190km
GOAL
5m 温海から芭蕉と曾良はいったん別行動をとり、芭蕉は馬で鼠ケ関(ねずがせき)へ、曾良は温海温泉から出羽街道へ出て小国番所から、それぞれ越後に入ります。鼠ケ関は、平安時代には白河関、勿来関と共に奥羽三関と呼ばれ、東北への玄関口となっていました。江戸時代には『念珠関』と表記され(読みは同じ)、古代の鼠ケ関および現在の山形・新潟県境より1kmほど北にあり、国道7号の脇に『近世念珠関跡』として関門と石碑が建てられています。
北陸道の北端に到着しました。これにて第3ステージ『出羽路』終了。
参考資料:奥の細道むすびの地記念館俳聖 松尾芭蕉翁

2022年09月13日(火)/曇り/24°C/立石寺(山寺)あたり /上野コース/走行距離15km/累積距離85km/サリーナ

谷中の几号水準点谷中の几号水準点

第3ステージ出羽路が始まって1週間、私は立石寺(山寺)に到着。ジオポタでは2010年に訪れています。岩山に点在するお堂を巡る石段をわっせわっせ登り、五大堂からの眺めを楽しみました。名句は浮かばず。。

さて実走。いつもの上野コースは谷中の墓地を通るのですが、今日初めて気づいた説明板と地面に埋まった石(写真)がありました。これは『几号(きごう)水準点』といって、明治時代初期に設置されたイギリス式の測量基準となる標石で、『不』のような記号は横棒(ー)に専用器具を差し込んで測量に使うのだとか。ずっと残りそうな石垣や欄干、鳥居に掘ったり、刻印した石を新しく立てたりしたそうです。

明治15年頃からドイツ式の測量方式が採用されることになり、『几号水準点』は不要のものとなりました。というわけで、これは貴重な産業遺構。全国で数百箇所は残っているそうなので、散歩の合間に見つけるとちょっと楽しいかもしれません。

09月17日(日)/晴れ/25°C/羽黒権現(出羽神社)あたり /牛久大仏/走行距離85km/累積距離187.8km/コテッチャン

牛久大仏牛久大仏

奥の細道は第3ステージの羽黒権現(出羽神社)を過ぎたところです。山形県は妻の故郷であり、実際に行ったことがあります(山形市とその周辺)。今のバーチャルな旅のおかげでもう一度山形県を訪れることが出来て、嬉しい。^_^

実走は家⇔牛久大仏の往復。半分利根川サイクリングロード、半分気持ちいい田舎の細い道。15年ほど前に家族3人で行ったことがありますが、昨日はまたこの大仏の大きさに驚きました。スマホで『大仏ナウ』の写真を兄弟達に送り、『Wow!』という反応でした。^_^

ブログには牛久大仏を含めて最近のライドの写真をアップしました。

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