22A

奥の細道2 奥州路

開催日 2022年 月 日〜
参加者 /サリーナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 454km
地域 東北

松島
松島

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング奥の細道の第2ステージ『奥州路』は、白河関から松島、平泉を経て尿前関まで。

基礎情報:奥の細道1 日光路3 出羽路4 北陸路Ⅰ5 北陸路Ⅱ

地図:GoogleマップgpxファイルRide With GPSトライアル記録

発着地 累積距離 標高 コース・見所、奥の細道の句
Stage2 奥州路 454km
白河関 START
0km
294km
390m 白河関を越えて、第2ステージは奥州路。芭蕉たちは、行基開基といわれる関山山頂の満願寺に参詣。白河に入ると『宗祇戻し』の碑などを見学。『宗祇戻し』とは、室町時代の連歌師・飯尾宗祇が白河を訪れた際、通りかかった女性とのやりとりで陸奥の風流を感じ、ここから京へ引き返したという逸話だそうです。阿武隈川を渡り、さらに奥州街道を北上して矢吹宿に宿泊。
矢吹 28km
322km
290m 矢吹を出て須賀川へ向かう。途中、会津磐梯山を筆頭に新緑の美しい山並みの景色を楽しみつつ、影沼というところに立ち寄ります。現在は公園になっていて、その端に石碑と芭蕉・曾良の像が。この沼で蜃気楼が見えるかと期待していたのですが、曇り空のため見えなかったと残念がっています。
須賀川 40km
334km
265m 須賀川で芭蕉たちは豪商相楽等躬を訪ね、もてなしを受けて一週間ほど逗留。須賀川宿は、奥州街道屈指の宿場町として栄えていたそうです。早速句会が開かれ、ここで詠んだ句。
 風流の 初(はじめ)や奥の 田植うた
さて、この家の近くで世を厭う僧が大きな栗の木の下に庵を構えていました。そこを訪ねての句。
 世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
栗の花って、モシャモシャした細いブラシのようなあれですよね。ですが、栗は西の木と書いて、西方浄土に縁が深いのだそうです。
日和田
安積山
61km
355km
255m 須賀川を出て20kmほど、日和田宿の先に小高い丘の安積山公園があります。ここで芭蕉は古今和歌集に詠われた『みちのくの 安積(あさか)の沼の花かつみ かつみる人に 恋ひやわたらん』の『花かつみ』を探して回ったそうです。後に『花かつみ』は『ヒメシャガ』とされ、郡山市の花に制定されたとのこと。
二本松
黒塚
81km
375km
195m さらに進み、二本松にやってきました。その先、阿武隈川の対岸にある『黒塚』は、人を食らう鬼婆の葬られた塚だそうで、芭蕉は見物に訪れています。現在はその隣に『安達ヶ原ふるさと村』という道の駅もあります。
福島
しのぶもぢ摺り石
107km
401km
65m 芭蕉たちの次の宿は福島。須賀川から約60km、どこまで健脚なのか。。と思ったら、日和田宿から馬に乗ったらしい。翌日、『しのぶもぢ摺り石』を訪ねます。『しのぶもぢ摺り』は、このあたり(信夫郡)でつくられた乱れ模様の摺り衣のことで、草の汁を模様のある石の上にかぶせた布に擦りつけて染めたとか。その石が文知摺観音・普門院にあり、古今集の『みちのくの しのぶもぢずり誰ゆへに みだれ染めにし 我ならなくに』(源融)の歌枕としても有名だそうです。芭蕉は田植えの手さばきにも『しのぶ摺』の昔が偲ばれる、と詠む。
 早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺
飯坂温泉
鯖湖湯
121km
415km
105m 芭蕉一行は、月の輪の渡しで阿武隈川を渡り瀬上宿を経由して、飯坂温泉へ。ここではまず、源義経の家臣佐藤継信、忠信公ら佐藤一族の旧館を訪ね、菩提寺の医王寺では義経の太刀と弁慶の笈などを見ています。
 笈(おい)も太刀も 五月にかざれ 帋幟(かみのぼり)
飯坂温泉には現在9つの共同浴場があり、芭蕉も立ち寄ったという『鯖湖湯』は存在感のある木造建築です。日本最古の木造共同浴場だったそうですが、老朽化により1993年に明治時代の姿を再現し改築されたとのこと。
国見峠
伊達の大木戸
135km
429km
115m 飯坂では温泉に浸かったものの、宿はあばら家だったようで、夜には雷雨となり雨漏りする上にノミや蚊に悩まされた芭蕉。翌朝は睡眠不足で体調も悪く、馬を借りて桑折へ。さらに気力を振り絞って、伊達藩入口の大木戸に到達します。このあたりは藤原泰衡が源頼朝軍を迎え撃った古戦場だそうです。国見町の国見峠長坂跡に『芭蕉翁碑』があります。
岩沼
竹駒神社
178km
472km
5m 白石で泊まり、翌日は岩沼へ。竹駒神社を参詣し、笠島(名取郡笠島村、現在は名取市愛島)へ藤中将実方の塚を訪ねようとします。実方は平安時代の和歌の名手でイケメン、光源氏のモデルの一人と言われる人物で、陸奥に左遷された後、馬が倒れて死亡したとか。しかし五月雨で道はぬかるみ疲れてもいたので、笠島は遠くから眺めるだけにした芭蕉は、こんな句を詠みます。
 笠島は いづこさ月の ぬかり道
岩沼では『武隈の松』を見物。これは根元から2本に分かれている松で、芭蕉は、旅を始める際に『武隈の 松みせ申せ 遅桜』と餞別の句を詠んだ挙白への答礼の句を詠みます。
 桜より 松は二木を 三月越し
仙台
国分町
199km
493km
55m 芭蕉一行は名取川を渡って仙台に到着。江戸時代から繁華街として栄えていた国分町の宿に数日滞在しています。この間、青葉城亀岡八幡神社東照宮、玉田・横野(歌枕。場所不明)、榴岡天満宮陸奥国分寺と、周辺を観光。いろいろと案内してくれた画工の加右衛門という人が、松島や塩竈の名所旧跡を絵に描き、さらに紺の鼻緒をつけた草鞋を餞別としてくれたそうで、さすが風流人、と芭蕉はこんな句を。
 あやめ草 足に結ん 草鞋(わらじ)の緒
端午の節句の前夜には菖蒲を軒に挿すものだが、私はいただいた紺の鼻緒を草鞋に結ぼう、と感謝を込めた句です。
多賀城
多賀城碑
231km
525km
10m 多賀城に着いた芭蕉は『壺の碑』を訪ねます。『壺の碑』とは、坂上田村麻呂が石に矢尻で文字を書いた石碑のことで、多くの歌人が詠んだ歌枕です。江戸初期に土の中から『多賀城碑』が発見され、これが『壺の碑』だとされました。しかし、その内容(724年の多賀城創建と762年の改修)からみて時代が異なり、今ではこれは誤りとされているそう。ともかく、芭蕉は古来の歴史遺産を目にした感動を綴っています。
塩釜
鹽竈神社
240km
534km
50m 多賀城から塩釜にかけては、他にも歌枕となっている名所がいくつかあります。末の松山、沖の石、野田玉川、そして、東塩釜の『籬(まがき)が島』を訪ね、塩釜に宿をとった芭蕉は夜、琵琶法師の『奥浄瑠璃』を聴きます。奥浄瑠璃とは奥羽地方に伝承されていた浄瑠璃で、源義経を題材にした作品が多いとか。翌朝は鹽竈神社を訪れ、立派なつくりを絶賛。
松島
雄島
251km
545km
5m 芭蕉は塩釜から船で松島へ。我々は陸路、複雑な海岸線を蛇行しながら行きましょう。芭蕉は松島の景観に大いに感動し、また海に突き出た『雄島』では修行僧の禅堂跡などを見て、その幽玄の世界に浸ります。句作を断念した芭蕉は、『奥の細道』には曾良の句を掲載。
 松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす  曾良
その後、芭蕉は瑞巌寺を訪れます。瑞巌寺は9世紀初頭に創建された延福寺が前身だそうで、戦国時代に一時衰退しますが1600年代初頭に伊達政宗が復興し、寺名を『瑞巌寺』に改めました。海辺に突き出す五大堂は東北地方現存最古の桃山建築です。
石巻
日和山
279km
573km
50m 松島を出て石巻に到着した芭蕉一行は、日和山に登って周囲の景色を愛でます。この丘からは市街地が一望でき、太平洋に牡鹿半島が伸びているのが見えます。春には桜が美しいそう。丘を下りたら住吉神社と歌枕『袖の渡り』を訪ねます。ここは、義経が奥州下向の際に、船賃の代わりに着物の片袖をちぎって渡したという伝承からそう呼ばれ、赤い橋がかかった小島があります。
登米 310km
604km
10m 石巻を出て鹿又で旧北上川を渡ったら、北上川に沿ってどんどん北上。(私個人としては海側の南三陸町に立ち寄って海の幸を堪能したいところですが)脇目も振らず平泉に向かう芭蕉です。今宵は登米に宿泊。それならここで、名物北上川産の天然うなぎでも食べましょうか。
一関 350km
644km
30m 芭蕉たちは登米からさらに北へ、花泉を通り一関に到着。途中で強い雨に降られ、馬を借りて何とかたどり着いたようです。一関に一泊し、翌日はすぐに平泉へと向かいます。この近くには、平泉の他にも磐井川の浸食によって形成された厳美渓や断崖絶壁の猊鼻渓など、訪れてみたい名勝があります。
平泉
中尊寺
360km
654km
100m ついに旅の大きな目的の一つ、平泉に到着。藤原三代のかつての繁栄の跡を偲び、北上川に面した高館(たかだち)という丘に上る。そこは源義経の居館であり終焉の地となった場所でした。しばし佇み、涙を落としながら詠んだ句。
 夏草や 兵どもが 夢の跡
そして中尊寺に参り、金色堂(光堂)、経堂を拝観。金色堂は1124年に奥州藤原氏初代清衡によって上棟された建物で、金箔に螺鈿細工の内陣の須弥壇には阿弥陀如来、その両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天が従い、須弥壇の中には藤原四代の亡骸が安置されています。長い年月の間に風雨で朽ち果てるはずが、新しい建物でお堂を覆って守られています。
 五月雨の 降のこしてや 光堂
岩出山
有備館
422km
716km
55m 平泉から一関に戻り、翌日は岩出山へ。一関からは50kmを超える道のりで、その健脚ぶりには驚かされます。この辺りは一部古道も残り、栗原市一迫の旧道脇には芭蕉が衣を松の枝に掛けて休憩したという『衣掛けの松』があります。宿をとった岩出山は伊達政宗が10年ほど本拠としていたところだそうで、岩出山城には仙台藩の藩校の一つで現存する最古の藩校『有備館』があり、美しい回遊式庭園とともに国の史跡・名勝となっています。
尿前関
旧有路家
454km
748km
GOAL
345m 岩出山から鳴子温泉を通り過ぎ、そのすぐ先に尿前(しとまえ)関があります。この関を越えれば出羽国。そこで日が暮れ、芭蕉たちは国境の番人である有路家に泊めてもらいます。実は立派な家だったそうですが、地名から連想して芭蕉が詠んだ一句。
 蚤虱 馬の尿する 枕もと
出羽国の入口に到着。これにて第2ステージ『奥州路』終了。
参考資料:奥の細道むすびの地記念館俳聖 松尾芭蕉翁
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