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奥の細道4 北陸路Ⅰ

開催日 2022年 月 日〜
参加者 /サリーナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 324km
地域 甲信越

親不知
親不知

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング奥の細道の第4ステージ『北陸路Ⅰ』は鼠ケ関から越後に入り、日本海に沿って西へ。新潟、直江津を経て市振まで。

基礎情報:奥の細道1 日光路2 奥州路3 出羽路5 北陸路Ⅱ

地図:GoogleマップgpxファイルRide With GPSトライアル記録

発着地 累積距離 標高 コース・見所、奥の細道の句
Stage4 北陸路Ⅰ 324km
鼠ケ関 START
0km
1190km
5m 鼠ケ関(ねずがせき)を越えると北陸道の北端に到着。ここからは越後に入ります。越後路300km以上の行程を16日で踏破した芭蕉、越後路に関して『奥の細道』にはあまり記述がありませんが、多くの寺社仏閣を巡り、有名な句もいくつか残しています。芭蕉の旅を辿って進みましょう。
中村
(北中)
20km
1210km
115m 別々の関を越えた芭蕉と曾良は、出羽街道の中村宿(現在の北中)で落ち合います。中村は出羽街道と羽州浜街道の分岐点で、交通の要衝だったそうです。集落の南には北中芭蕉公園があり、句碑が建てられています。
村上
村上城
50km
1240km
25m 中村を出て村上城下に着いた芭蕉は、村上城を訪れます。村上城は、戦国時代に本庄氏が築城し、その後1598年に村上頼勝が領主となって村上城と呼ばれます。幕末の北越戊辰戦争で焼失、城址は現在国指定の史跡となっています。
芭蕉と曾良が宿泊したのは旅籠の久佐衛門の家。当時の建物は明治時代に火災で焼失し、その直後に建てられた主屋が『井筒屋』として旅館を続け、2017年からは村上伝統の鮭料理を提供する店になっているとのこと。
瀬波海岸 56km
1246km
20m 村上城下に2泊した芭蕉と曾良は、光榮寺(現在は移転)で村上藩筆頭家老榊原帯刀の父・松平良兼(俳号『一燈』、曾良が以前伊勢長島で仕えていた主家)の墓を参拝し、その後瀬波海岸を観光しています。
乙宝寺 70km
1260km
10m 芭蕉たちは村上藩主の菩提寺の泰叟院(現在の浄念寺)を訪れます。このお寺には後の1818年、村上藩主であった間部詮房の百回忌に白壁土蔵造の本堂が建てられ、現在国の重要文化財となっています。
村上を発った芭蕉たちは、胎内市の乙宝寺を参拝。海岸砂丘の林の中にあるこのお寺は736年、聖武天皇の勅願により行基、婆羅門僧正の二人の高僧が開山し、婆羅門僧正はお釈迦様の左眼を納めて乙寺と名づけたとか。ちなみに右眼は中国に納められ甲寺と呼ばれたそうです。その後、後白河天皇が左眼を納める金塔を寄進し、乙寺から乙宝寺に改名されました。
築地 79km
1269km
10m 乙宝寺から街道沿いに南下し、芭蕉たちは築地(ついじ)に宿泊します。翌日、ここから船で新潟湊に渡ったそうですが、我々は陸路を新潟に向かいましょう。
新潟湊 115km
1305km
0m 新潟湊には夕方到着。ここは、江戸時代には阿賀野川と信濃川舟運の拠点、そして北前船の寄港地として繁盛していたそう。その後も、日米修好通商条約で開港五港の一つとして指定されるなど、日本海側の重要港として発展してきました。信濃川河口西岸にある新潟市歴史博物館(みなとぴあ)は新潟の歴史を学べる施設で、その敷地内には旧新潟税関庁舎や旧第四銀行住吉町支店など、往時をしのばせる建物があります。
彌彦神社 152km
1342km
60m 新潟を発った芭蕉たちは弥彦村に向かい、彌彦神社に参拝します。緑深い森の中にあるこの彌彦神社、社伝によれば創建2400年、『続日本後紀』に9世紀前半での記述が見られる由緒ある神社です。本殿以下の社殿は1912年の火災で焼失してしまいましたが、1915年、伊東忠太氏の設計で再建されました。
出雲崎 181km
1371km
10m 弥彦の門前町に宿泊した翌日、まず西生寺を参拝。西生寺は733年に行基が創建した古刹です。そこから野積に下り、日本海に沿って出雲崎へ。出雲崎は、海と並行する道の両側に妻入りの民家が並ぶ独特の町並みが4kmほど続きます。江戸後期のお坊さん、良寛の出身地でもあり、谷口吉郎氏設計の良寛記念館からは、日本海と町並みの素晴らしい景色が楽しめるとか。出雲崎で芭蕉たちが泊まった場所付近には、芭蕉像が立つ庭園『芭蕉園』がつくられています。
鉢崎 221km
1411km
10m 出雲崎を出た芭蕉たちは柏崎に泊まる予定でしたが(予定の宿の対応が悪かったのか)そのまま通過し、米山峠を越えて鉢崎までやってきました。鉢崎で泊まったのは『たわら屋』。ここは代々庄屋で、宿屋を営んでいたといいます。
直江津 246km
1436km
5m 翌日、今町(直江津)に到着しました。泊まるはずの聴信寺は葬儀の最中で、古川屋という旅館に泊まります。その夜句会が開かれ、今日は七夕の前夜だが、すでに通常の夜とは違う雰囲気だ、と芭蕉の発句。
 文月や 六日も常の 夜には似ず
そして翌日も雨のため直江津に泊まることとし、句会が開かれます。七夕の日につくられた名句。
 荒海や 佐渡に横たふ 天河
高田 256km
1446km
15m 直江津から向かったのは高田城下。医師の細川春庵を訪ね、句会が開かれます。春庵の家の庭には薬園があり、美しい庭園だったという。『奥の細道』にはありませんが、発句。
 薬蘭(やくらん)に いづれの花を 草枕
雨のため、芭蕉たちは高田に3泊しています。高田城は徳川家康の六男、松平忠輝の居城として築城されたそうで、現在城跡は公園として整備され、明治時代に焼失した三重櫓が1993年に再建されています。
五智国分寺
居多神社
263km
1453km
20m 直江津方面へ戻った芭蕉と曾良は、五智国分寺居多(こた)神社に参拝。五智国分寺は、740年代創建の越後国分寺を上杉謙信が1562年、現在地(五智)に再建したものだそう。居多神社は日本海沿岸に分布する気多神社の一社で、国司の厚い保護を受けてきたこの神社は越後一宮とも呼ばれるそうです。
能生 290km
1480km
5m 参拝を終えた芭蕉たちは、能生(のう)までやってきました。集落の東端には能生白山神社があり、1515年建造の杮葺の本殿は国の重要文化財。その神社には潮が満ちると自ら鳴る『汐路の鐘』があったそうで、『奥の細道』にはありませんが、芭蕉はこの句を残しています。
 曙や 霧にうつまく 鐘の聲
市振 324km
1514km
GOAL
10m 能生から日本海に沿って西へ西へ。糸魚川を過ぎて、北陸街道最大の難所『親不知子不知』に到着。海岸は断崖絶壁で、旅人たちは波間をぬって狭い砂浜を命がけで駆け抜けたそう。芭蕉たちも何とか通り抜けます。
市振(いちぶり)に着き疲れ果てて宿で休んでいると、隣の部屋で若い女性2人の声がする。新潟の遊女が伊勢神宮参りに行くらしいが、送ってきた男はここで帰るという。あまりに心細く、翌朝涙ながらに芭蕉たちに同行を懇願する。不憫ながらも『立ち寄るところも多いから』と断った芭蕉はこの句を詠みます。
 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
市振は北陸道の越後最後の宿場町で、関所が設けられていました。ここからは越中国に入ります。これにて第4ステージ『北陸路Ⅰ』終了。
参考資料:奥の細道むすびの地記念館俳聖 松尾芭蕉翁
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