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奥の細道5 北陸路Ⅱ

開催日 2023年03月22日〜
参加者 マージコ/コテッチャン/ナオボー/マサキン/シロスキー/サイダー/サリーナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 442km
地域 甲信越

黒部四十八瀬 小川と立山連峰
黒部四十八瀬 小川と立山連峰

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング奥の細道の第5ステージ『北陸路Ⅱ』は、市振から金沢、福井と北陸を西へ向かい、敦賀からは南東へ。琵琶湖をかすめて大垣まで。

基礎情報:奥の細道1 日光路2 奥州路3 出羽路4 北陸路Ⅰ

地図:GoogleマップgpxファイルRide With GPSトライアル記録

発着地 累積距離 標高 コース・見所、奥の細道の句
Stage5 北陸路Ⅱ 442km
市振 START
0km
1514km
10m 市振を過ぎて、ここからは越中。最終第5ステージは富山、金沢、福井と北陸を西へ向かった後、南東へ方角を変更。琵琶湖をかすめ、目指すは西美濃の中心で交通の要衝であった大垣。ここが奥の細道の『むすびの地』となります。
黒部川 21km
1535km
30m 市振からしばらく行くと、朝日町、入善町、黒部市と、黒部川が形成する広い扇状地に入ります。黒部川は豪雨による洪水のたびに氾濫し、川筋が定まらずいくつもに分かれていたため、この辺りは『黒部四十八ヶ瀬』と言われていたそうです。そんな多くの川を越えて進む芭蕉たちです。この日は滑川で宿泊。
那古浦 69km
1583km
5m 翌日は富山湾沿いを西へ進み、那古(奈呉)浦(なごのうら)にやってきました。ここは、大伴家持が『東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠るみゆ』と詠んだ歌枕の地。能登半島や立山連峰を望む景勝地です。芭蕉たちは、藤が有名な『担籠(たこ)の藤浪』(氷見市の田子浦藤波神社)を訪れようと思ったけれど、土地の人に『ここから5里もあるし、家も少なく宿を貸す人はいなかろう』と言われ、断念。
 わせの香や 分入る右は 有磯海(ありそうみ)
有磯海(荒磯海)はこのあたり、富山湾西部の海のことで、芭蕉たちは海を右手に見る道を内陸へと分け入ります。
倶梨伽羅峠 103km
1617km
260m 高岡に泊まった翌日、芭蕉たちは小矢部市の埴生護国八幡宮に参拝。ここは、平安末期に源(木曽)義仲が戦勝を祈願したところで、後年加賀藩主前田家により造営寄進された1600年代前半の社殿は国の重要文化財です。戦勝祈願の後、源義仲は倶梨伽羅峠に大軍を構える平家軍を打ち破り京へ進撃、平家は西国へと落ちのびていくことになります。芭蕉たちは、この峠を越えて金沢へ。
金沢 128km
1642km
30m 金沢に着いた芭蕉は、加賀の俳人たちのもてなしを受けます。しかし、会うのを楽しみしていた葉茶屋を営む俳人の一笑(小杉味頼)は前年冬に亡くなっていたと聞いて、大いに落胆。一笑の兄が一笑追善句会を開き、芭蕉が詠んだ句。
 塚も動け 我泣声は 秋の風
金沢には9泊、芭蕉は俳人たちとの句会や市内観光に出向きます。犀川ほとりにある斎藤一泉の松玄庵に招かれ、出された料理に感謝を込めた句。
 秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子
小松
多太神社
159km
1673km
10m 多くの俳人たちに見送られ、また同行者もあり、芭蕉たちは金沢を発って小松へ向かいます。あたりには少しずつ秋の気配が。
 あかあかと 日はつれなくも 秋の風
小松に到着。句会での芭蕉の発句。
 しほらしき 名や小松吹 萩すゝき
芭蕉は斉藤実盛の兜がある多太(たた)神社に詣でます。源平合戦の際に木曽義仲軍との戦いに敗れ、義仲の武将に討ち取られた平家の武将斉藤実盛は、かつては源義朝に仕え義仲を助けた人物。最後の戦いの時に身につけた兜や錦は以前の主君源義朝公から拝領したもの、そして老齢を隠すため白髪を黒く染めていた。木曽義仲は実盛の兜・袖・臑を多太神社に奉納したという。
 むざんやな 甲の下の きりぎりす
山中温泉 183km
1697km
70m 小松を出発した芭蕉たちは山中温泉へ。この温泉は奈良時代に行基が発見したと伝えられ、さらに平安末期に白鷺が傷を癒しているのを見つけたことから温泉旅館が始まったとか。美しい渓谷のほとり、歴史ある温泉地です。
 山中や 菊はたおらぬ 湯の匂
山中温泉を守護する医王寺、渓谷『鶴仙渓』にかかる黒谷橋などをのんびり訪れながら、芭蕉はここに9日間滞在。1910年に黒谷橋のほとりに『芭蕉堂』が創建され、また2004年には、芭蕉が泊まった宿の隣に明治時代の建物を再整備した『芭蕉の館』がつくられました。
山中温泉
(旅立ち)
183km
1697km
70m ここまで同行してきた曾良は体調を崩し、伊勢国の長島の医師にかかるため芭蕉と別れ、先行して旅立ちました。曾良が詠んだ別れの句。
 行行て(ゆきゆきて) たふれ伏すとも 萩の原  曽良
芭蕉は別れを悲しみ、笠に書いた『同行二人』の書付を消さなくては、と詠む。
 今日よりや 書付消さん 笠の露
那谷寺 197km
1711km
50m 芭蕉は山中温泉から小松に戻る途中、那谷(なた)寺を訪れます。この寺は700年代初頭の創建。当初は岩屋寺という寺名でしたが、平安時代に訪れた花山法皇が西国三十三所(近畿の観音信仰の霊場)の那智山と谷汲山から1文字ずつ取って『那谷寺』と改名したそうです。
 石山の 石より白し 秋の風
1642年に再建された本殿は『大悲閣』と呼ばれ、国の重要文化財。その中の岩屋に本尊の十一面千手観世音菩薩が安置されています。さて、芭蕉は小松に戻り2泊しますが、我々は先へ進みましょう。
大聖寺
全昌寺
209km
1723km
5m 大聖寺は白山信仰の白山五院の一つであり、江戸時代は大聖寺藩の城下町として栄えたそう。小松を出た芭蕉は、大聖寺城下町の郊外にある全昌寺に宿泊。ここには山中温泉で別れた曾良が前夜泊まっており、次の句を残していました。
 終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山  曾良
これを見て、芭蕉も『一夜の隔千里に同じ』と寂しさを感じています。
翌朝、慌ただしく出立しようとする芭蕉を若い僧たちが紙や硯を持って階段の下まで追いかけてきます。そこで芭蕉が書いた句。
 庭掃いて 出ばや寺に 散る柳
吉崎
汐越の松
217km
1731km
45m 芭蕉は加賀と越前の国境の吉崎から入江を船で渡り、汐越(しおこし)の松を訪ねます。潮が満ちると、その枝が海水に浸かってしまうという松。西行が詠んだという『終宵(よもすがら) 嵐に波を はこばせて 月をたれたる 汐越の松』に惹かれてやってきましたが、この歌は実は蓮如の作だとか。汐越の松のあったところは現在ゴルフ場になり、枯れてしまった松が残っているそうです。
松岡
天龍寺
245km
1759km
50m 芭蕉は曹洞宗の大本山永平寺に向かいますが、途中、古くからの知人のいる松岡の天龍寺に立ち寄ります。山中温泉で曾良と別れた芭蕉ですが、実は金沢から北枝という俳人がここまで同行してくれていました。別れにあたって名残惜しく、芭蕉の詠んだ句。
 物書きて 扇引きさく 余波(なごり)哉
永平寺 255km
1769km
220m 永平寺は曹洞宗の開祖道元が1244年に創建した寺院。応仁の乱や火災などにより、現在見られる建物は全て江戸期以降のものですが、仏殿や法堂をはじめ19棟が国の重要文化財に指定されています。芭蕉は山門から本堂までの距離、その広さに驚きますが、京都から離れたこんな山奥にあるのも貴い理由があってのことだとか、と記しています。
福井 271km
1785km
10m 永平寺に詣でた後、福井に向かった芭蕉は古い知人の等栽(とうさい)の家を訪ねます。すると、夕顔やヘチマの生い茂る侘しげな家屋から侘しげな女が出てきて夫の不在と訪問先を素っ気なく伝える。何だか源氏物語のワンシーンみたいだ(夕顔)と思いつつ、芭蕉は等栽を探し当てます。等栽の家に2泊した後、敦賀の港で十五夜の月を見ようと、等栽と一緒に敦賀へと向かいます。
敦賀
気比神宮
333km
1847km
10m 『越前富士』と呼ばれる日野山が見えてきた。そして『朝むづの橋』『玉江の蘆』『鶯の関』と歌枕の地を通り、湯尾(ゆのお)峠を越えると木曽義仲の燧が城(ひうちがじょう)。歌枕の『かえる山』に渡る雁の声を聞きながら、敦賀に到着したのは、十五夜前日の十四日の夕暮れでした。
その晩は月が美しく、宿で『明日もこんな美しい月を眺められるだろうね』と問えば、主人に『北陸の天気はわからないから』と言われ、酒を勧められ、その後気比(けひ)神宮に夜参りします。ここは702年に修営された仲哀天皇の御廟だそうで、芭蕉は主人の説明を受けます。昔、遊行上人二世(他阿上人)が、この神社の参道がぬかるんで皆が困っていたのを見て、自ら砂を運び往来の便を図ったという。この言伝えは今も守られ、その後、代々の遊行上人も神前に真砂を運び入れており、これを『遊行の砂持』と言うとか。芭蕉が詠む。
 月清し 遊行のもてる 砂の上
さて翌日の十五夜は、主人の言う通り雨でした。
 名月や 北国日和 定なき
色浜 347km
1861km
5m 翌日は晴れて、西行の詠んだ『潮染むる ますほの小貝 拾ふとて 色の浜とは いふにやあるらん』の『ますほの小貝』を拾おうと船を出し、敦賀湾の北にある『色が浜』へ。『ますほの小貝』とは、薄いピンクの小さな二枚貝だそう。私たちは敦賀湾沿いの陸路を北上しましょう。浜には海人の家が僅かにあり、お寺が一軒(本隆寺)。ここでお茶を飲み酒を温めて、感じとる秋の夕暮れの寂しさ。
 寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋
 波の間や 小貝にまじる 萩の塵
琵琶湖
塩津浜
380km
1894km
90m さてはて、『奥の細道』には、芭蕉が敦賀から大垣までどういう行程を辿ったのか記述されていません。ここでは、深坂峠を越える塩津街道を通って琵琶湖の塩津浜に出たということで進みましょう。
塩津街道は『塩の道』とも呼ばれ敦賀と畿内を結ぶ重要な街道だったそうで、紫式部が父に同行して越前へ行く際にも通った道なのだとか。その南端の塩津浜は琵琶湖の港町として栄え、今も宿場町の雰囲気を残しています。
長浜 404km
1918km
90m 琵琶湖の北から長浜へ。1573年、羽柴秀吉が織田信長より拝領した地(今浜)を『長浜』と改め、ここに城を築き城下町を形成。長浜城は江戸前期に廃城となりましたが、その後、長浜は大通寺の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展したそうです。伝統的な町並みが今も残り、それらの建物を活かしたギャラリーやカフェなどが集積、観光客の人気を集めています。市街地周辺には浅井長政の小谷城跡、石田三成出生の地、姉川の古戦場跡など、戦国武将たちの足跡がいくつも見られ、ここが当時大変重要な場所であったことを伺わせます。
大垣 442km
1956km
GOAL
10m 長浜から東へ、関ヶ原を抜ける。そして、江戸を発って約5ヶ月、ついに芭蕉は『奥の細道』のむすびの地、大垣に到着しました。伊勢にいた曾良も駆けつけ、他にも親しい人たちが次々と会いに来てくれます。しかし、その半月後に芭蕉は次の目的地、伊勢へと旅立つ。もう少しゆっくりすれば。。と思いますが、『奥の細道』の冒頭に書かれている通り、芭蕉にとっては日常が旅、旅が住まいであり、作句の原動力なのでしょう。舟に乗った芭蕉、最後の句。
 蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ
これにて第5ステージ『北陸路Ⅱ』、そして『奥の細道』終了。
参考資料:奥の細道むすびの地記念館俳聖 松尾芭蕉翁

2023年3月22日(水)/晴れ/野川公園コース/走行距離32km/累積距離32km/マージコ

自然観察園のニリンソウ自然観察園のニリンソウ

WBC決勝すごかったですねー。感動なかなか冷めやらずでしたが、あっそうだ今日から北陸路Ⅱスタートだったと気が付き、昼から野川公園まで往復32km、走ってきました。三鷹市牟礼1丁目の花と緑の広場に寄って、都立野川公園に行きました。

区民のボランティアで運営されている花と緑の広場は、菜の花の迷路があって楽しかったです。野川公園では桜が満開、自然観察園ではジオポタの花のニリンソウがきれいに咲いていました。

ではでは。これから芭蕉の旅程に沿って大垣まで駆け抜けましょう!

2023年3月24日(金)/晴れのち曇り/19°C/魚津/上野コース/走行距離15km/累積距離30km/サリーナ

桜満開の不忍池桜満開の不忍池

奥の細道最終ステージ、今日は3日目。黒部川など幾つもの川を渡って魚津に入ったところです。このあたりは右手に日本海、左手に立山連峰と、目を見張るような素晴らしい景色が続きます。そして富山湾の海の幸も楽しみ~

さて実走はいつもの上野コース。晴れ間がのぞき、いい陽気の上野公園は桜が満開で、外国人観光客の姿もたくさん見かけました。

不忍池では、オナガガモは北へ飛び立ったのか見かけなくなり、ユリカモメとキンクロハジロ、オオバンだけが泳いでいます。と思ったら、今日は何と今年初めてカイツブリとハシビロガモを発見! 大満足な自転車散歩となりました。

2023年3月27日(月)/黒部川/舞子浜/走行距離21km/累積距離21km/ナオボー

ベランダは春満開ベランダは春満開

気になっていたので、今日、北陸路Ⅱの走行距離をようやく登録しました。

もうずいぶん進んでる人もおられますね。私は主に舞子の浜をノルディックポールでウォークです。

私事ですが、私のベランダの春満開の写真です。葱はどんどん育つので刻んでタップリ入れた炒り卵を食べています。

2023年3月31日(金)/晴れ/那古浦/東深井古墳の森/走行距離4.4km/累積距離72.4km/コテッチャン

東深井古墳の森東深井古墳の森

奥の細道最終ステージ。那古浦を超えて庄川を渡ったところです(芭蕉の時代は中田川だったかな?)。

このあたりの思い出といえば、やっぱり1997年の秋、大阪外大での半年間の留学が終わって、東京に引っ越す日が来て思い切って大回りして各駅停車で東京まで行くことにしました。最初の日、夜遅く富山駅に着いたらもう電車がなくて泊まる場所を見つけられなくて、駅の床に寝袋を敷いて翌朝の電車を待つことにしました。自分のまわりに同じことをする登山者が多くて、結構印象的でした。床が硬かったのですが、近くに便利な自動販売機やトイレがあり、空気もきれいだったし、幸せな一晩でした。^_^

実走は流山市東深井古墳の森。この小さな森は気持ちよく歩けるコースが最近増えたので、お散歩やジョギングだけでなく、ノルディックウォーキングのコースとしてもかなりいい場所になりました。家から歩いて2分もかからないし、流山市の『森の図書館』もあり、宝物です。ノルディックウォーキングをやらない朝は、カナダで晩ごはんを食べ終わった高校時代の友達と一緒にスマホでチャットしながら歩く。なんて贅沢な人生!^_^

2023年4月9日(日)/晴れ/金沢/舞子浜/走行距離18km/累積距離131km/ナオボー

アメリカデイゴの新芽アメリカデイゴの新芽

一昨日の暴風雨、昨日の花冷えから一転して今日は暖かなウオーキング日和。舞子の浜を6.6km歩いた。

無惨に切られたアメリカデイゴの切口から沢山の新芽が出ている。

2023年4月20日(木)/晴れ(暑い!)/29°C/福井/金閣寺・龍安寺/走行距離10km/累積距離276km/サリーナ

金閣寺金閣寺

奥の細道は福井に到着。芭蕉は知り合いの等栽(とうさい)を訪ねます。数年前に江戸で会ったきりの友人の自宅にアポもなく現れるとは、今では考えられないサプライズだったことでしょう。芭蕉は2泊した後、等栽と一緒に敦賀へと向かいます。

さて実走は、チコと一緒に京都観光。観光客が増える前にメジャーなところを、と思って選んだのは金閣寺・龍安寺でしたが、すでに外国人観光客で満員! 金閣寺は中学の修学旅行で訪れたはずですが、ほとんど記憶にありません。『昔はこんなに金色じゃなかった』と、やはり修学旅行で訪れたチコがつぶやく。

調べてみたら、金閣寺は1950年に焼失し、1955年に復元されたものの10年くらいで金箔が剥落、さらに下地の黒漆も劣化していったそうで、その頃の姿を見たようです。その後何度か修復が行われており、屋根を葺替え1万枚の金箔を貼る工事が終わったのは2020年の年末のこと。今回は真新しいキラキラの姿を眺めることができました。

2023年5月27日(土)/晴れ/長浜/いつもの散歩道/走行距離4kmx3=12km/累積距離397.3km/シロスキー

長浜城長浜城

2週間ぶりにいつもの散歩道4kmを歩いたが疲れた、3度も休憩した。

猪苗代湖から新潟までP組で約200Kmを走る予定で参加したが90kmしか走れず残念、皆に迷惑かけただけ?? 今後参加拒否されないように体力回復、体力増強するヨ。猫もそう申しています。

奥の細道はもう少しで長浜城です。写真は2018年12月の琵琶湖の出発集合前1人で向かった時の写真です。

2023年8月18日(金)/曇り/福井と敦賀の間/あけぼの山農業公園/走行距離22km/累積距離318km(2周目)/コテッチャン

あけぼの山農業公園あけぼの山農業公園

奥の細道5 北陸路Ⅱの2周目は後124kmで終わり。芭蕉と曽良と違って、何も考えずにとにかく進むコテッチャンです(笑)。7月は自分のブログに奥の細道のStage1、そしてStage2を紹介しましたが、それ以来、仕事で忙しくなってしまって作業が進みません(夏休みになると外国への帰省ラッシュになり、日本に残った翻訳者達には仕事の量が突然増えます)。

さて実走。今回は心拍センサーを胸に、ケイデンスセンサーをペダルに走ってみました。初経験でした。コース前半はこの夏、試行錯誤で少しずつ磨いた気持ちいい道で、後半はサイクリングロードでスピードを出すコースになっています。(後半はコバエが飛ばない日、つまり風が強いあるいは雨が降っている日だけ走るコースです。そうでなければ前半のコースで帰ります。)みなさん、前半のコースにはなんと、クロコダイルがいますよ!今年は我孫子駅→春日部駅(あるいは南流山駅)のポタリングコースを作る予定ですが、このクロコダイルを皆さんに紹介したくてたまりません。参加者は必ず健康保険証のご持参を!(笑)

写真はあけぼの山農業公園、7月20日。地元の農家が軽トラックの荷台に乗って写真を撮っているのを見て、思い切って声をかけました:『すみません、写真を撮りたいので荷台に乗ってよろしいでしょうか?』と訪ねてみたら、答えは『あ?!?... はい...どうぞ』

2023年10月2日(月)/晴れ曇り/24°C/福井から湯尾峠の途中/走行距離6km/累積距離291km(2周目)/サリーナ

不忍池弁天堂不忍池弁天堂

昨日はジオポタ企画。霞ヶ浦で帆引き船を楽しみ、帰り道で激雨に降られ、ずぶ濡れで土浦駅に到着。サイサリとコテッチャンはそのまま居酒屋に直行し、『寒いね~』と言いながらビールで乾杯。さて、その翌朝です。

朝食を食べながら『昨日のずぶ濡れウエアの洗濯をしなきゃなあ』と考えていて、何となく違和感。そうだ、リュックを乾かしていないと思い至り、玄関に行ってみると、自転車のまわりにも机の上にも愛用リュックの姿がない。昨夜の記憶をたどってみると、上野駅を出たところまでは持っていたこと、家の前に着いたときに何故かリアキャリアのゴムバンドが外れていたことを思い出しました。うわ、上野駅から家までのどこかで落としたに違いない。。

とにかく家から駅までの昨日のルートをたどり、見つからなければ交番に届けて。。と自転車で家を出た。道の両側をチェックしつつ、本郷通りを渡り不忍池を回り、弁天堂を抜け出ようとしたその時です。弁天堂の参道のすぐ脇の縁石に、見覚えのあるリュックがちょこんと置いてあるではありませんか! 光り輝いて見えたリュック。誰が脇に置いてくれたのかわかりませんが、本当に感動しました。弁天様、ありがとうございます!

まあ他の誰にとってもあまり価値のないリュックでしょうが、私には20年は使っている大事なもの。中身もないと困るものばかり。この時の中身は自転車用工具、替えチューブ、輪行袋、タオル、ビニール袋、朝食おにぎりを包んだタイガースロゴ入り布巾、全部無事でした。

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