春も深まってきました。えっ、春って深まったっけ? ま、それはともかく今年の春の訪れは早く、都心では3月の半ばには桜の開花が宣言され、その桜は4月に入ったと思ったらほとんどなくなってしまいました。入学式を待たずに桜が散ってしまうなんてねぇ。
私たちのお気に入りの場所の一つである比企丘陵(ひききゅうりょう)は都心より1〜2週間桜の季節が遅いので、まだ桜に間に合うかもしれません。ということで今回は久々の比企丘陵です。
東武東上線の武蔵嵐山(むさしらんざん)駅から南へ向かい都幾川(ときがわ)に下ります。
お天気はうっすらと雲が広がる晴れで、花見には最適です。
都幾川に架かる学校橋に出ると、すぐその先に本日の目的地の一つである桜堤が現れます。
おっ、なんか良さそう!
これは都幾川桜堤。桜がずらりと並んだ堤の向こう側には黄色が見えます。
学校橋を渡って堤の南側に出ると、先ほど見えた黄色は菜の花でした。
桜も菜の花も満開です。
桜堤の入口でたっぶりと菜の花畑と桜とを眺めたら、堤に沿って西へ向かいます。先には物見山や大日山といった低い山が並んでいるのが見えます。
それにしてものどかで、こんなに菜の花も桜も見事だというのに、人がほとんどいません。もしかしてコロナで外出を自粛してるのでしょうか。
先頭のシロスキーは前回の走行テストがうまく行ったようで、今回も電動自転車のBESVで参加。
足下は青々とした麦畑。
桜の木の下をどんどこ進んで行くと、うしろには霞のようにたなびく桜並木が続きます。
ではしばらく桜をお楽しみください。
いい気持ち〜
良く見れば満開は少し過ぎ、散り始めていますが、もう少しの間楽しめそうです。
その足下には八重咲きの大きな水仙。
雲か桜か、桜か雲か・・・
都幾川の桜堤で桜を満喫したら都幾川を渡り、嵐山渓谷(らんざんけいこく)方面に向かいます。
小倉の集落も春真っ盛り。
畑は春の作物の植え付けの準備が整い、その向こうの大福寺の桜は満開です。
私たちが時々遊ばせてもらう大平山も春の彩り。
日枝神社の枝垂桜は残念ながらもうおしまいでしたが、桃が盛りです。
桃の花とジオポタ二人娘。桃と並べるなよって。(笑)
槻川(つきがわ)の嵐山渓谷をちょっとだけ眺め、
遠山に入ります。
遠山は低い山に囲まれた猫の額ほどの平地ですが、そこには今でもきれいな田畑が広がっています。
遠山で一番きれいな時期が今時分です。
周囲の山の木々が一斉に芽吹き、遠山十本桜が咲くからです。
世の中には何とか千本桜とかはありますが、ここは十本桜と控えめなのがいいですね。
まあ、実際に十本くらいなのですが。
その十本桜の下を行くと花吹雪!
桜は咲き始めから散り際まできれいです。
遠山にはもう一箇所みどころがあります。それは甌穴です。久々に覗いてみましょう。
その甌穴は物見山の裾を流れる槻川にあります。
このあたりの槻川の河原は結晶片岩でできていて、規模は小さいですが、いわゆる岩畳を成しています。
その岩畳の上に降りてみると、岩に空いた大きな穴があります。シロスキーが立つ左に見えるのがそれです。
あやうく見逃すところでしたが、この二つ並んだ甌穴のうしろ側に径は小さいものの完全な形の甌穴がありました。
『ほ〜、これがオーケツっていうんだ。まん丸だからOケツって言うのかな。できるまで何年くらいかかるのかな?』とオーケツを始めて見るシンチェンゾーでした。
遠山の甌穴を眺めたら下里に向かいます。
結晶片岩の岩畳は甌穴のあたりまでなのか、それより上流の槻川の河原はこんなです。
このあたりには、坂下、田中、北根といった小さな集落が連なります。
今では住居表示のくくりが広域になってしまって昔ながらの地名が残っていないところが多いですが、小さな単位の集落名があると場所に親近感が湧きます。ぜひこうした名前は残してほしいものです。
山はデリケートな色のパッチワークで埋め尽くされています。
春だけの楽しみ。
下里にやってきました。かつてここには下里分校がありました。それは2011年に廃校になりそのまま朽ち果てそうでしたが、3年ほど前にその一部がカフェになり、去年さらにそれがリニューアルされました。このカフェの名前、Mozartとあったのでモーツァルトかと思ったらモザートらしいです。
校庭は立ち入り自由で、カフェは無料休憩所としても利用できるようです。古い木造校舎、校庭には桜。私たちジオポタの面々の多くはこうした環境で小学生時代を過ごしたので、懐かしさを感じます。棒のぼりがあったのでやってみましたが、全然ダメ。さすがに年を感じます。(笑)
旧下里分校の西には仙元山があります。あそこも私たちが時々入らせていただくフィールドです。
今回はあの山の中には入りませんが、裾野にある『カタクリとニリンソウの里』を覗いてみましょう。
カタクリは桜が咲く頃にはあらかたがしぼんでしまうので、もうおしまいかと思いましたが、かろうじて最後の数輪を見ることができました。
ニリンソウはカタクリより少しあとに咲くので、今回はこっちがターゲットです。
二輪草! 私たちのクラブにぴったりということで、この花はジオポタの花なのです。向こう側の花の下に小さな蕾があるのが見えるでしょう。ニリンソウは一本の茎に二輪の花を付けます。花の名はここから来ているのでしょう。
一輪車の方にはイチリンソウをおすすめします。←イチリンソウもあります。本当ですよ。トライクの方ならサンリンソウ? これはどうなのかな。たぶんないとおもふよ。(笑)
ニリンソウを眺めたら槻川の一本橋を渡って西光寺に向かいます。
西光寺には素敵な枝垂桜があるのですがこれは完全に花びらを散らしていて、葉っぱだけになっていました。しかし、そのうしろの染井吉野はまだ見頃が続いています。
このお寺さんの奥にもカタクリが咲いていて『カタクリとニリンソウの里』より間近で観察できるのですが、カタクリは時期を逃しているので次回ということにします。
西光寺を出て寄居方面へ向かいます。
小川町からよく見える外秩父の山は堂平山と笠山。左端の頭が平らな方が堂平山でその隣のとんがり山が笠山です。笠山はその山容からよく目立ち、このあたりのシンボル的な山と言ってもいいかもしれません。
この時期はどこも桜でいっぱいですが、角山に名のない大桜がありました。
まあこのあたりの桜は大きいものが多いですから、この木も大桜とまでは呼べないのかもしれませんね。でもとにかく見事です。
小川町から寄居までの間の勝呂(すぐろ)には重要文化財に指定されている吉田家住宅があるので、これを目指すことにします。
吉田家住宅は1721年(享保6年)に建築されたことがわかっており、これははっきりと建築年が判明している民家では埼玉県内で最古だそうです。
江戸時代は徳川吉宗が将軍を務めていた頃ですね。
当時の民家にはみんな土間がありました。この吉田家住宅の土間の半分は厩で、牛または馬が飼われていたようです。当時は家畜が人といっしょの空間に生活するのがごく普通でした。
また小川町は現在も和紙で知られていますが、この住宅でも和紙が漉かれていたようです。
この庭にも咲いていましたが、この時期はあちこちでオオアラセイトウ(大紫羅欄花)のきれいな紫色の花が見られます。
この花はいくつもの別名を持ち、ショカツサイ(諸葛菜)、ムラサキハナナ(紫花菜)、ハナダイコン(花大根)とも呼ばれます。諸葛菜は諸葛孔明が広めたとされることから付けられた名で、紫色の菜の花を意味する紫花菜の名からもわかるように、食用として用いられたり種から油を取ったりされます。
吉田家住宅の隅っこに胡麻が置かれていました。
胡麻はもちろん食用となりごま油になったりしますが、最近はその植物としての姿を知らない方もいるというからびっくりですね。これが胡麻ですよ〜(笑)
吉田家住宅は現在は土産物店と食堂になっており、この日は結構繁盛していました。
さて、吉田家住宅を覗いたら寄居に向かいましょう。
そうそう、早咲きのツツジも満開です。これはエゾムラサキツツジかな、それともミツバツツジかな。鮮やかでちょっとドキッとする色です。足下の柴桜のピンク色もいいですね。
寄居のすぐ南には鉢形城跡があります。鉢形城は1476年に長尾景春によって築かれたとされ、後年は北条氏邦が城を守っていましたが、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城し廃城となりました。城の中心部は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ、天然の要害となっています。
ここには北条氏邦にちなんだ氏邦桜というエドヒガンの大木があります。エドヒガンはその名から知れるように春の彼岸の頃に咲くのですが、今年はもっと早く咲いたようで、この時はもうおしまいでした。もっともここには染井吉野もたくさん植えられていて、どこもかしこも桜だらけです。
お城好きのシロスキーはこの鉢形城跡を調査するというのでここで分かれ、残る面々は寄居の町に入って行きます。
寄居の町のすぐ南には荒川が流れています。ここは荒川の最上流部と言ってよいところですが、正喜橋(しょうきはし)から見るその流れは意外と広くてびっくり。
正喜橋付近の荒川の河川敷は玉淀(たまよど)河原と呼ばれます。
玉淀の玉は埼玉の玉で、これには美しいという意味があるそうです。淀は『淀んだ』状態を表し、かつてここの流れは深く淀んでいたと考えられますが、現在の印象はだいぶ異なります。
写真の対岸が鉢形城跡です。
寄居町は古くは秩父往還の宿場町として、また鉢形城の城下町として栄えました。写真はその中心を通る街道で、この通りに面して明治8年創業の山崎屋旅館があったのですが、2〜3年前に廃業され、今回訪れるとその建物も取り壊されていました。
古い建物は山崎屋旅館くらいしか残っていなかったので、もうここにはかつての宿場を思わせるものはほとんどありません。
荒川沿いに戻ります。正喜橋の袂にはかつて七代目松本幸四郎の別邸が立っていたという雀宮公園があり、荒川沿いに石の舗装のきれいな道が続いています。
この荒川に臨む道脇に、宮沢賢治が盛岡高等農林学校の2年生だった1916年(大正5年)に地質見学旅行でこのあたりを訪れた際に詠んだとされる歌二首が刻まれた碑があります。
毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川きしの片岩のいろ
『毛虫焼く』か・・・ まあ、私が子供の頃は庭先でよく毛虫の巣を焼いたものですがね。この『毛虫焼く』は夏の季語。賢治がここを訪れたのは9月だそうです。
二番目の歌は荒川に横たわる茶褐色と白色からなる『虎岩』の縞模様を博多帯に例えたものだそう。もやうは一瞬靄うかと思いましたが、これは模様の方ですね。(笑) 虎岩はここより荒川の少し上流の長瀞にある岩で脆雲母片岩だそうです。
歌碑は少し緑色がかった結晶片岩でできているようです。
玉淀大橋を渡り荒川の右岸に出ました。そこはついおとといようやく再オープンできたというキャンプ場の『かわせみ河原』です。コロナ明けでか、大勢の家族連れで賑わっています。
この対岸はかつては白鳥の飛来地として知られていましたが、最近はどうなのかな。少なくともこの日、ここに白鳥の姿はなかったようです。もっともこのあたりの白鳥は2月中にシベリアに帰ってしまうので、もういないでしょう。
かわせみ河原の先に観覧車のようなものが見えます。あれは一体何かなと思ったら、川の博物館にある大水車でした。
直径24.2mで日本一の大きさだそうです。良く見掛ける水車は上掛水車という方式で滝のように水を水車の上から落としますが、これは胸掛け水車という方式で、水車の高さの中程あたりに水を落とします。
荒川に沿って東に向かいます。
この時期は畑も田んぼもぼちぼち動きだします。
ここから先しばらくは荒川までちょっと距離があり、川面はほとんど見えません。その上リサイクルセンターがあり、ごみごみしていて殺風景な上、砂利道なので、あまりいい環境とは言えません。
花園橋をくぐり、前方に関越自動車道の橋梁が見え出すとやっと荒川が見えましたが、対岸にはもの凄い量の砂利だか砂だかが堆く積まれていて、心が寒くなります。
植松橋をくぐると河川敷はグラウンドになり、桜並木が続くようになります。
ここはちょっといいですね。
グラウンドの東で荒川が寄ってくるところがあるので、枝道に入り川辺に出てみました。
ゆっくり進んで行くと、あれっ、白くてでっかいものが川に浮かんでるよ〜 あれ、もしかして白鳥じゃない!
果たしてそれは本当に白鳥でした。まだ何羽かシベリアに帰らずに残っていたんですね。
カップルなのか、ここには二羽の白鳥がいました。
優雅に泳ぐその姿はやっぱりいいですね。
このあたりはかつては川本町で、白鳥飛来地として知られていましたが、鳥インフルエンザの流行以降はその姿をあまり見掛けなくなっていたのですが、今は少しやってきているようです。
左手にぽこぽこと土が盛り上がったものが現れるようになります。鹿島古墳群です。
このあたりの荒川右岸の河岸段丘上には100基を超す古墳が分布していたといわれ、そのうちの56基が指定史跡に含まれています。6世紀後半から8世紀初頭にかけて造られたもので、直径10m〜20mの円墳が多いそうです。
この鹿島古墳群の駐車場の奥に『白鳥飛来地 川本』の看板があったので河原に向かいましたが、対岸遠方に二三羽いる気配で人が集まっていましたが、こちらからは良く見えませんでした。
鹿島古墳群を眺めたら田んぼの中をどんどこ行き、塩の大榎に向かいます。
このあたりの田んぼはまだ田植えの準備に入っていないようです。
塩の大榎の『塩』は地名で、このあたりの住居表示は熊谷市塩。塩が付く地名は食塩の塩に関係することが多いと思われがちですが、『地名の語源』(1977年/角川小辞典13)は、<シオ>の項で『塩の山間の地名にはシボむ地形からのものが多い』という説を最初に紹介しています。
ここの場合もどうやら食塩とは関係がないようで、地形からすればこの説の『シボむ』から来ているのかもしれません。
小さな谷戸の入口に塩の大榎は立っています。
どうです、この見事な樹形と大きさ。立派ですね。
その榎の木の根元にはお地蔵さまがいらっしゃいます。いぼ地蔵と呼ばれているそうです。
願をかけ、それが叶うとなにがしかのお礼をするというのが決まりのようで、ここでは願をかける際に泥の団子をお供えし、願いが叶ったら本物の団子を供えたそうです。
いいですね、この根っこにお地蔵さま。
さて、塩の大榎を眺め、いぼ地蔵にお参りしたら、本日の終着地の森林公園駅に向かいます。
その途中に二ノ宮山があるので寄ってみました。標高131.8mの低い山なのですが、その山頂まで自転車で行け、22%という激坂が楽しめるのがいいところ。比企丘陵の最高峰。(笑)
山頂には展望塔があり、天気が良ければ 丹沢、谷川岳、赤城山、男体山といった山々が望めます。
上っている途中、一台の軽トラックが下りてきました。『展望塔は4時半でおしまいで、今鍵をかけたところです。』だって。うっかり閉鎖時間があるのを忘れていました。まあ、今日は山、どうせ見えないけどね。
展望塔に上らなくてもここにはある程度見晴らしがあります。
これは南を見たところで、緑がきれい。
さて、二ノ宮山で本日のイベントは終了。森林公園駅に向かいましょう。
あのとんがり帽子の笠山が見えてきました。
久しぶりの比企丘陵は桜満開、春の花いっぱいで美しく、楽しかったです。
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