恒例の小野路ポタリングです。ここ数年は多摩の紅葉は遅かったのですが、今年は少し早そうだということで予定を一週間早めての開催です。
昨日開催の予定でしたが生憎の雨で1日順延しました。雨はそれなりに降ったと思うので足下がちょっと心配ですが、これは状況を見て必要ならルート変更することにします。
いつもは多摩センター駅を起点にするのですが、今回は久しぶりに『多摩よこやまの道』と黒川の谷戸へ行くことにしたので永山駅にしました。永山駅には京王と小田急が入っているのでアクセスは良です。
お天気は快晴! いい空の色です。
永山駅のすぐ南にある永山北公園に入ると、大きな楓の木が良い色になっています。この様子なら今日は期待できるかもしれません。
永山北公園は自転車走行禁止なので押して進みます。
永山北公園を出ると遊歩道が続いています。このあたりは多摩ニュータウンとして丘陵地を切り開いてつくられた街で、車と歩行者が分離されているので安心して走れます。
永山団地は隣の諏訪団地とともに多摩ニュータウでももっとも早い時期の1971年に入居が開始されたところで、今日、木々は大きく成長していて街の成熟を感じます。
永山南公園、多摩東公園とつないで南多摩尾根幹線道路に架かる『弓の橋』を渡ります。
この橋の下を通る通称『尾根幹』はロードバイカーに人気の道で、四六時中、彼らの姿を見ることができます。
弓の橋からは丹沢の山々の上に頭を出した富士山がきれいに見えます。
弓の橋の南には『丘の上公園広場』があります。
丘の上公園広場は多摩よこやまの道の起点で、今渡ってきた弓の橋が下に見えます。
丘の上公園広場からはちょっとだけよこやまの道を進んでみます。
尾根に10kmほど続くよこやまの道は、ニュータウン開発の折に散策路として整備されたものですが、ここには古くから鎌倉古道や奥州古道、古代東海道など重要な道が通っていました。散策路なのでほとんどのところが地道や砂利道で、時々階段があります。(笑)
『今日はダートが多いのでマウンテンバイクで来ました〜』 というシュンシュンは大きな荷物をぶら下げており、担ぐのが大変そう。
砂利道のよこやまの道を行き、階段を上ってやってきたのは『防人見返りの峠』。ここには『多摩丘陵パノラマの丘』という別名もあるようです。この尾根筋からは武蔵野と相模野の両方が眺められるので、古くから軍事的な道が通っていたと考えられます。
ここから見ると丹沢の山々は横たわっているように見えます。多摩丘陵も武蔵の国の国府(現府中)から見ると横に長く連なる山のようで、万葉の時代には『多摩の横山』と呼ばれていたそうです。
防人(さきもり)は、唐の攻撃に備えて九州沿岸を防衛する目的で大化の改新で設けられた軍事制度です。『さきもり』の読みは『岬守』あたりから来ていると考えられています。
遠く北九州までやられた防人は再び故郷の土を踏むことはほとんどなかったそうです。この眺めの良い道は、防人が故郷を振り返り、家族との別れを惜しんだところなのでしょう。万葉集には防人やその家族が詠んだ歌が100首以上収録されています。よこやまの道の『よこやま』はその中の一首から採られたものです。
『防人見返りの峠』からはやってきたよこやまの道をちょっと戻って、黒川に下ります。
黒川にはたくさん谷戸がありますが、その本流が黒川谷戸です。写真はそれから僅かに入った『入り谷戸』。この時期、谷戸の田んぼに作物はありませんが稲が二番穂を出していました。稲は基本的には年に一度しか収穫されませんが、本来は多年生植物で熱帯地方では繰り返し収穫されることもあります。
二番穂は温帯では成長しても穂が出なかったり、中身が空っぽのことが多く、収穫できても少量で、土壌の栄養が少なくなり、一番穂の収穫量が減ったり味が悪くなったりするため、日本ではほとんど二番穂を育てることはされません。場合によっては家畜の餌として利用されることもありますが、ほとんどは稲刈り後に田に鋤きこまれます。ここのように二番穂を出している田んぼは労働力の問題でか、それを行っていないだけのことが多いと思います。
黒川からはよこやまの道に上り、再びこれを行きます。
ここは狭〜い!
r18の現鎌倉街道を渡るとよこやまの道は階段になるのでこれは回避し一般道を行きます。
妙櫻寺までやってくるとその駐車場の奥に地道が続いています。この道はどうやらかつての鎌倉街道上道らしいです。これを入って行くと小野路の関谷の切り通しから北に伸びる道に出るのですが、自転車では厳しいので今回はパス。
妙櫻寺から小野路の谷戸に入って行きます。
まずは恵泉女学園大学の実習農場をかすめて南へ向かうと、
笠松谷戸。
谷戸ですが田んぼではなく畑が造られています。木々は例年の輝きがなく、かなり色褪せて見えます。紅葉はもうほとんど終わっているようです。ちょっと残念。
でもここはとても気持ちがよいところで心がわくわくします。
笠松谷戸を下ると本流の大犬久保谷戸(おいなくぼやと)に出て、布田道に入ります。
布田道は江戸時代には甲州街道の布田五宿(現調布市)とこのすぐ先にある小野路とを結ぶ重要な道でした。今日見るとかなり狭いですが、当時は人馬が行き来するだけでしたから、これで充分だったのかもしれません。
谷戸が狭まって森に入ると、ちょっとした上りになります。
この上りの上に『関谷の切り通し』があります。
関谷の切り通しは切り通しとしてはかなり低いですが、狭い地道の両側の土が何にも覆われずにそのままむき出しになっています。この状態が数百年も保存されてきたとすれば、本当に驚きです。
ここは平安時代末期の豪族で、のちに鎌倉幕府のご家人となった小山田氏(おやまだし)が関所を構えていた場所と伝わります。このすぐ近くにある大泉寺はその館(小山田城)跡とされており、小山田氏の祖である有重の墓所があります。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で見ると、小山田氏は有重の子である稲毛重成が北条政子の妹を妻に迎え源頼朝と親戚になって勢力を伸ばしますが、北条により同族の畠山氏が討たれ、続いて重成らも謀殺されて一族の勢力は衰退していったようです。
関谷の切り通しからは竹林の中に細道が伸びているのですが、この道はすぐに行き止まりとなります。
研究者の中にはこの小径が古くは鎌倉街道だったのではないかと考えている方もいるようですが、真偽は不明です。
ここの景色はいつ見てもちょっとわくわくします。
関谷の切り通しを出るとすぐに小野路のメインストリートに出ます。小野路は江戸時代に大山街道の宿場町として栄えたところで、現在でも当時の雰囲気を僅かながら感じることができます。
この通りにはかつての旅籠を改修し、いも饅頭やみかんなどの地元物産を売る観光拠点の小野路宿里山交流館や、新撰組組長の近藤勇が出稽古に通ったという小島資料館があります。
旧街道を渡り小野路の南側のゾーン、大久保に入ります。
するといきなり激坂でここは押し!
えっこらよこら上った先にはきれいな畑が開かれていました。
ここの畑の中には、転農して農場を始めた農場主とボランティアが協力して作物を作っている畑や、子どもたちが農業体験できる畑があります。
気持ちのよい畑を眺めたら、次は森に入ります。
『今日はミニベロでは走れなさそうなところだと思ったので、大きいタイヤの自転車で来ましたよ〜』 と言うユッキーは森の中も楽々行きます。
針葉樹と篠の薮の先で空間はちょっと開け、ピクニックテーブルがいくつか置かれたゾーンに出ます。
このピクニックテーブルの南には眺望があり、町田あたりの高層ビル群が見えます。
ピクニックテーブルのあとは牧場の牛さんに挨拶をし、万松寺谷戸(ばんしょうじやと)に下ります。
万松寺谷戸を奥へ進んで行くと六地蔵が現れます。薄暗い道脇にお地蔵さんの赤い頭巾と前掛けが7つ並びます。このお地蔵さん、六地蔵ではなく七地蔵です。(笑)
この細い道も古くからあるようで地蔵尊の横には、大山阿夫利神社への参拝道を示す大山道と、坂東三十三観音札所八番の星谷寺への道を示す星谷道(ほしのやみち)の道しるべがあります。
七地蔵を通り越したすぐ先は万松寺の門前で、楓が真っ赤に染まっています。
陽の光を透かした赤がとてもきれいです。落ち葉が敷き詰められた道はその赤い光を浴びて、より赤くなっています。
万松寺の下にあるのが万松寺谷戸です。
万松寺谷戸は小野神社まで下っているのですが下の方は家が立ったり畑になっていて、ここまではそれとは気が付きにくいです。しかし一番奥は今でも里山に囲まれた田んぼなので、谷戸だとはっきり分かります。
万松寺谷戸から激坂を上って行くと小さな畑があり、その先で野津田側から上って来る道に合流します。野津田側からの道はこの合流点まではアスファルト舗装されていますが、以降は非舗装となり、かつて小野路城があったところへ向かいます。
しばらく行くと右手に小さな水溜まりが出てきますが、これは『小町井戸』で、小野小町がこの水で目を洗ったら病が治ったという伝説があるそうです。
この小町井戸の向かいが小野路城で、現在は道からちょっと上がったところに小さな社とその鳥居が立っているのですが、これらは道からは見えません。城をぐるっと廻り込むようにして進むと社の裏側に出ます。毎年ここでは淡い紅葉が楽しめるのですが、今年はすでに終わっていました。小野路城は小山田氏が1170年代に築城したものです。北条により粛正された小山田氏は甲府に逃れ、武田や上杉と関係を結んでいくことになりますが、築城から約300年後、『長尾景春の乱』が勃発すると小山田城は1477年に景春方により落城、この時に小野路城も落城したと考えられています。
小野路城からは奈良ばい谷戸に出ます。
谷戸を上から見ると、狭い畑の先に終わりかけの紅葉の多摩丘陵、その向こうに丹沢の山々、そしてその上に頭を出した富士山! これはとてもいい眺めです。
眺めを楽しんだら奈良ばい谷戸を下ります。
先に見える小さな小屋は炭焼小屋で、この前来た時にはそこで作業していたボランティアの方から竹炭をいただきましたが、今日は作業はされていないようです。
谷戸を下まで下るとそこは棚田で、小さな藁ボッチが二つ置かれていました。
藁ボッチは例年は三つ作られもう少し大きいのですが、今年は作業が進んでいてどこかに使われたのでしょうか。
奈良ばい谷戸からは小山田緑地に入ります。
まずは竹林の中を上るのですが、タイヤが細いマージコはすぐに落ち葉に埋まってしまい、押しに。
竹林の先は雑木林です。ごついタイヤのシュンシュンはフカフカ道でもガリガリ上って行きます。
子供たちの声が聞こえ雑木林が開けると運動広場に出ます。そこから少し上るとピクニックテーブルがいくつもある見晴らし広場です。
この広場からは丹沢と富士山がよく見えるのですが、富士山は雲に隠れていました。
もうすぐお昼。今日は暖かく風もないので、ここで大勢の方がピクニックをしていました。
お弁当を持っていたら私たちもここでランチにしたかったのですが、その用意がないのでレストランへ向かいます。見晴らし広場の奥へ進み、先ほど通った運動広場からr155町田平山八王子線に出ます。
目指すは桜台通りのイタリアンレストラン。裏道を上って行くと伝統的な蔵がある民家があり、その前に小さな畑が築かれています。
この畑の角に都市の農地を保全する目的で指定される生産緑地と書かれた標識がありました。市街化区域内の農地は宅地並みに課税されますが、生産緑地はそれが軽減されるなどのメリットがあります。
桜台通りのイタリアンレストランはお休みだったので、町田街道へ出てうろうろ。最初に現れた和食レストランは高額すぎて入れませんでしたが次の常盤町の交差点で町田商店というラーメン店があったので、本日の昼食はラーメンと決定です。
午後の部は小山田緑地のアサザ池からなので、常盤町からは小山田桜台を通って北へ向かいます。途中、『上小山田風の丘公園』というところを通りました。開発された戸建住宅地のうしろに低い丘が横たわっています。半世紀前のここは、あの丘と同じように木々に埋もれていたのでしょう。
小山田緑地のアサザ池にやってきました。
アサザは夏から秋にかけて小さな黄色の花を咲かせる植物で、一時期絶滅が心配され各地で保全活動が行われたため個体数は増えたようです。しかし現在のアサザはクローンで、しかも一時的でも干上がると枯れてしまうそうです。ここのアサザ池も今年は干上がりそうなほど水が少なくなっています。
アサザの心配をしたら梅木窪を戻ってトンボ池へ向かいます。
アサザ池からトンボ池へはゴルフ場の間を通らなければならないのがちょっと難です。ここの問題は二つ。一つは誤ってゴルフ場に入ってしまいそうになること。もう一つは激坂であること。(笑)
無事にゴルフ場を通り抜けられたら、ちょっと下ってトンボ池です。
今年はこの周囲の紅葉も終わっていましたが、小さなイトトンボを見ることができました。
トンボ池からは大久保を抜けて代官坂に上ります。
善治ヶ谷(ぜんじがやと)の奥には山中谷戸があり、稲架掛け(はさがけ)がされていました。
この山中谷戸の奥にあるのはこんな激坂です。
距離は200mほどと短いですが、かなりきつい!
今日のコースを見て古いマウンテンバイクで参加のミッちゃんですが、ギア板が摩耗しているらしく、踏込むとチェーンが落ちてしまい難儀していました。そこまで使えばギア板も本望でしょうね。
さて、代官坂です。この坂はこのすぐ北のr155町田平山八王子線から大泉寺方面へ下る1kmほどの坂で、江戸時代の1759年(宝暦9年)に始まった武相観音巡礼の道です。大泉寺は小山田城があったところですから、代官坂は古くからある鎌倉街道の一つであったのかもしれません。
その代官坂も今は通る人はなく、ひっそりと落ち葉に埋もれています。
『あれ〜、今日は代官坂は下らないつもりだったのに、なんでか下っちゃったよ〜』 と、いい加減なサイダーでした。
再び善治ヶ谷に出ると、小山田緑地のメタセコイアが良い色になっていました。
ここからはr155町田平山八王子線で『鶴見川源流の泉』へ向かいます。
鶴見川源流の泉に着く前に、代官坂から廻って来る予定だった奥州古道の常盤道とされる道を行ってみます。
このあたりの奥州古道常盤道は二本推定されており、その一つは押越(おっこし)の正山寺の東を通り唐木田へ向かう道。この入り口はちょっときつい坂で、エ〜ンヤコーラ。
もう一方は野中谷戸を通るr155町田平山八王子線で、正山寺からやってくる道との合流点から見た野中谷戸がこの絵です。
これらの道からは、なかなか味わいがある景色が見られます。
奥州古道常盤道を味わったら『鶴見川源流の泉』へ下ります。
田中谷戸にあるこの泉は一見ただの丸い池ですが、その底からはプクプクと水が湧きだしています。これは自然の湧水です。写真の奥へオタマジャクシのしっぽのように伸びているのが鶴見川の始まりです。
『鶴見川源流の泉』からは尾根緑道へ上り、これを西へ進みます。
尾根緑道の紅葉は、例年ならこの時期は始まったばかりか盛期のはずですが、今年はすでにかなり色褪せてしまっています。しかしここは気持ちよく走れる道であることに変わりはありません。
小山内裏公園(おやまだいりこうえん)の西展望広場にやってきました。
ここからは相模原の街と丹沢の山々がよく見えるのですが、この時は逆光がきつくて今ひとつでした。
小山内裏公園を出ると町田市から八王子市になり、先に鑓水小山給水所が見えます。その手前では何やら巨大な開発がされているようです。まだこのあたりは開発の途上ということでしょうか。
尾根緑道はあの給水所の横を行くのですが、今回はここから北へ向かい、鑓水公園を覗いてみることにしました。鑓水はこのあたりの地名で水が豊富なところだといい、昔は丘陵の斜面に槍のように尖らせた竹筒を打ち込んで飲料水を得ていたそうです。この方法を『ヤリミズ』と言い、地名の由来になったと言われいます。
鑓水公園はそう大きな公園ではありませんが、こんもりしたお山と小さな広場があります。このお山の中を行くのが『雑木林の路』。その先にある『若人の台』は展望台かと思いましたが何も見えませんでした。(笑)
『若人の台』から小さな広場までは階段でした。
鑓水公園からは遊歩道の『絹の道』で鑓水小山給水所へ向かいます。
かつて八王子は生糸の一大集積地であり、ここ鑓水も養蚕・製糸業で栄え、鑓水商人と呼ばれた人々がいたほどでした。文明開化、横浜開港をきっかけに、この地で生産された生糸は横浜へ運ばれて行きました。その道が浜街道とも呼ばれた絹の道です。
鑓水小山給水所から尾根緑道に復帰し、多摩美術大学まで進んだら多摩境通りに下り、三ツ目山公園に入ります。
三ツ目山は多摩境通りと町田街道の間にあるこんもりした丘で、かつては獣道しか通っていませんでしたが、今日は遊歩道が整備され公園風になっています。
その展望広場からは橋本と丹沢方面の眺望が開けています。
丘の裾には山王山日枝神社がひっそりと立っています。
このあたりではこの神社をたしか三ツ目神社と呼んでいたと思いますが、山王山日枝神社が正式名称なんですね。
橋本にはまた超高層ビルが増えたのではないでしょうか。ここは半世紀前の新宿のようです。
小野路をメインとしたコースは私たちの定番コースの一つですが、ここはいつ来ても楽しいです。距離は短めに設定し、時間をたっぷりとって、ハイキング気分でゆっくりのんびり廻ることをお勧めします。