土浦駅西口駅前
今年の梅雨入りは早く、東海地方はすでに5月29日に入ったようです。関東地方の梅雨入り発表はまだですが、台風2号が接近し、2日夜から3日の朝に掛けて大雨を降らせました。しかし3日午後に温帯低気圧に変わりそうだと言うので、急遽企画を発動。この時期は走れる時に走っておかないと次はいつ走れるかわかりませんからね。
台風一過で快晴が予想されるので、スカッとしたところを走りたいという希望と、南風が強そうなので北向きのコースということで、土浦駅から延びる、かつての筑波鉄道筑波線の廃線跡を利用した自転車道『つくばりんりんロード』を行き、筑波山のすぐ南にある宝篋山(ほうきょうさん 461m)に登ることに。宝篋山の頂上には360°の素敵な眺望があるのです。
つくばりんりんロード
JR土浦駅の西口を出るとすぐにりんりんロードの入口です。りんりんロードはこのアクセスの良さも魅力です。
りんりんロードはまず常磐線の線路沿いを行き、すぐに新川に出ます。ここで正規ルートは川の向こう側にシフトするのですが私たちは新川沿いを行き、大きな通りを渡ったところでりんりんロードに復帰しました。
宝篋山と筑波山
R6の土浦バイパスが近づくと、その向こうに筑波山(877m)の二つの頭が見えるようになります。
そしてR6をくぐり抜けると、筑波山の手前に横たわる宝篋山が見えてきます。宝篋山はこの写真の真ん中よりやや左に見える、丸いなだらかな頭の上に電波塔が立っているものです。
筑波線のプラットフォーム
りんりんロードは筑波線の廃線跡を利用したものなので、現在でもその設備の一部が残っているところが何ヶ所かあります。ここは虫掛駅跡で、プラットフォームだったところが植樹帯や休憩所になっています。
蓮田と筑波山
土浦市は日本一のレンコンの生産地で、りんりんロードの横でも蓮田が見られます。この蓮田は葉が出てきたばかりのようですが、他の田んぼでは水面一杯に大きく広がっているところも多く見られました。
正面に宝篋山
土浦駅から6km走ると、宝篋山が大きくなり、筑波山はほぼその蔭に隠れるようになります。
駅前の集落と宝篋山
ここでりんりんロードをいったん離れます。周囲には田植えが済んだ田んぼが広がっていて、この田んぼ道を走った方が気持ち良さそうだったから。田植えが済んだばかりの今の時期は日本で一番きれいな季節でしょう。
地図を見ていると、なんと『駅前』という地区を発見。今日そんな名前を付けるところはないと思いますが、かつて鉄道が珍しかった時代に鉄道駅があるということは、それはそれは自慢になることだったでしょう。そこはかつて常陸藤沢駅があったところです。
田んぼの中を行くレイナ、コムラン、サリーナ、ミッチー
『ここはすばらしいところですね〜 でも私の自転車のアシストはあんまり調子良くないので、これからが心配です。』 と、Eバイクのレイナ。
水没した花畑と宝篋山
田んぼの中に一ヶ所だけ稲がないところがありました。そこには薔薇が植えられているのですが、どうやら台風の影響で周囲が水没したようです。今回の台風2号の雨はもの凄かったようで、つくば市と土浦市では24時間降水量が観測史上最大を記録したそうです。
昨日まで周辺河川の氾濫も心配されましたが、今は問題なくなったようです。
宝篋山の横に筑波山
時間の経過とともに宝篋山の角度が変わり、左に再び筑波山が見えてきました。筑波山は一見単独峰に見えますが、実は目の前にある宝篋山を始め、北には加波山系の山々が連なっているのです。
ちなみに4月に登った朝日峠は、この写真の右から2番目のピーク付近にあります。
不調レイナ
筑波山と宝篋山を眺めながらゆっくり進んで行きます。それにしてもレイナはゆっくり過ぎだ〜、と思ったら、やっぱり電動アシストが効いていないらしい。
桜並木が続くつくばりんりんロード
田んぼ道が行き止まりになったのでりんりんロードに復帰します。
このあたりのりんりんロードは桜並木で、春には見事な花が咲くことでしょう。
小田城跡
小田城跡でジャンプ出来損ない
ほどなく小田城跡に到着します。小田城は鎌倉時代から戦国時代まで小田氏の居城でした。
その規模はここから向こうに見える宝篋山の麓までの、東西約1km、南北約700mで、今日見える通りに平山城でした。ちなみに宝篋山は小田山とも呼ばれます。
築城当時はこの近くまで霞ケ浦の低湿地が広がっていたとされ、水運で土浦の藤沢城や土浦城と連絡が取れていたとも考えられているようです。
小田の集落を行く
小田城跡を出たら、いよいよ本日のメインイベント、宝篋山登山です。その登山口の一つである宝篋山小田休憩所へ向かいます。
小田休憩所はつくばりんりんロードから程近いR125の小田十字路から入ったすぐのところにあり、自転車でも車でも容易にアクセスできます。
宝篋山小田休憩所
宝篋山の登山ルートはつくば市が発行しているトレッキングマップに載っているだけでも6つありますが、そのうちこの小田休憩所を起点とするコースは3つあります。私たちはこの山をよく知る山男のペタッチに事前にコースについてアドバイスを受けており、それらのうちのもっとも代表的で短かい『極楽寺コース』を行くことにしました。このコースは往復6kmで所要時間は3時間とあります。
この話を聞いたペタッチは、ちょうど帰国している孫2人を連れて先行して登ることに。そしてもう一人参加予定だったコテッチャンは残念ながら間に合わないということで、次のポイントの不動峠で落ち合うことに。私たちはデジタルマップはすでにダウンロードしてありましたが、念のためここで紙のマップをいただいて、いざ出発。
極楽寺コース序盤
小田休憩所を出るとすぐに道は田んぼの中を行くようになります。この田んぼの中にはおたまじゃくしがいっぱい!
ほどなく極楽寺公園の案内板が出てきます。これによるとここにはかつて極楽寺という大きな寺院があったそうです。1252年(建長4年)、奈良の西大寺の僧であった忍性がその寺に入り、関東の真言律宗の一つの中心地として繁栄させたというようなことが書かれています。
森の中に突入
小田休憩所から500mほど行くと田んぼが終わって森の中に入って行きます。道脇にはきれいな沢が流れています。
このコースはこの沢沿いをしばらく上って行きます。ちょっと上ると分かれ道に出ます。この分かれ道はそのうち合流するのですが、左に五輪塔の案内が出ていたので五輪塔を観に行くことにしました。
五輪塔
このあたりは極楽寺の奥の院にあたるとされる場所だそうで、五輪塔は花崗岩で造られた276.5cmもある立派なものでした。案内板によれば、この五輪塔は鎌倉時代後期の西大寺系石工による作品で、忍性が奈良から連れてきた石工集団の大蔵派によるものと見られています。
このあたりの山は上部が斑れい岩で下部が花崗岩で構成されているので、この五輪塔の石はこの山で採掘されたものでしょう。この登山道では石塔などの残骸があちこちにころがっているのを見掛けました。
沢を渡る
五輪塔を眺めたらさらに上を目指します。
登山道は所々でこうんなふうに沢を渡ります。
慈悲の滝
山の中を下る沢なので当然あちこちに滝が落ちています。小さい沢なので滝も小さいのですが、なかなかにきれいなものが三つ四つあります。
この滝には『慈悲の滝』という名が付けられています。
丸太の橋を渡る
今度は一本橋を渡ります。本当は二本!(笑)
白滝
これは白滝でしょうか。
昨日まで大雨だったのでこの日の水量は通常よりかなり多い方なのではないかと思いますが、さてどうなんでしょう。
滝
トレッキングマップには『こころの滝』というのがあるのですが、これがそうでしょうか。
小さいですが、細くてスマート。
加工されたらしい岩
この登山は決してきつい方ではないのですが、日頃山道を登り慣れていない私は半分ほど登っただけでヘロヘロ。あ〜きつい〜
時々こんな岩が出てきておやっと思わせます。どうやらここで何かを造ろうとしたのか、それとも石を切り出そうとしたのか。この樹木は石を割って伸びてきた?
富士岩
その後も大きな岩があちこちに出てきますが、勾配が少し緩んで山頂にかなり近づいたかなと思うあたりに、富士山の格好をした大岩がありました。
8合目で見えた下界
このルートにはここまで眺望がありませんでしたが、8合目あたりまで来るとようやくちらっと下界が見えました。この様子なら山頂からの眺めは期待できそうです。
あとちょっとのサリーナとレイナ
木々の茂りが薄くなり太陽の光を感じるようになると、山頂はもうすぐ。
山頂の鳥居と忍性の像
りんりんロードから見えた巨大な電波塔が現れると、その横の階段の上に鳥居と忍性の像が出てきます。
宝篋山山頂
忍性の像のすぐうしろには宝篋印塔が立っています。この宝篋印塔が宝篋山の名の云われなのでしょう。
『やっと山頂に着いた〜』と笑顔のレイナ。
そのレイナが観ている先の景色は、
宝篋山山頂より南を望む
こんなです。
ただただ見渡す限り広がる関東平野!
筑波山
そして北には双耳峰の筑波山。TOP写真は山頂から南東の霞ヶ浦方面を見たもの。
ここで先行していたペタッチとその娘のモモちゃん、そしてモモちゃんの2人の子と合流し、みんなでお弁当をいただきました。
下山開始
ペタッチ一家は子供がいるのでゆっくり下山するということなので山頂で別れ、自転車隊のみ先行して下ります。
ザル池へ
森を抜けて田んぼまで下ったら、行きには通らなかったザル池を経由して小田休憩所に戻りました。
小田休憩所のピクニックテーブル
小田休憩所にはピクニックテーブルがあるので、ここで自動販売機で買ったお茶で喉を潤しつつ休憩。
私たちのコースタイムは標準より、上りで10分、下りで5分、合計15分余計に掛かりました。(笑)
筑波山方面へ向かうりんりんロード
さて、次は再び自転車に股がって、筑波山の手前にある大池を目指します。
これまで筑波山の手前にあった宝篋山がなくなったので、その二つの頂、男体山と女体山がはっきり見えるようになりました。
左:男体山。右:女体山
筑波山は、左の男の方が871m、右の女の方が887mで、僅かに女の方が高いです。
北条大池と宝篋山
北条大池に到着。
ここは宝篋山の北西に当たり、朝方見えた宝篋山のほぼ裏側が見えています。あの電波塔はここからもよく見えます。
平沢官衙遺跡
北条大池のすぐ近くには平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)があります。
これは奈良・平安時代の筑波郡の役所跡で、その中の3棟の建物が復元されています。
平沢官衙遺跡の配置図
この配置図によれば、ここには8世紀から11世紀の建物があったようですが、最盛期は8世紀らしく、それらはオレンジ色に塗られています。
土壁双倉と校倉
これらの建物は上部構造は詳しくはわかっていないようで、奈良の正倉院などを参考にして復元されたそうです。
復元された3棟の形式は、板倉、土壁双倉、校倉と異なるものですが、いずれも高床式の倉庫で、当時の税であった稲や麻布が治められていたと考えられています。
不動峠へ
平沢官衙遺跡を出たら本日最初で最後の上りである不動峠へ向かいます。不動峠は写真の右端に見える凹み付近にあり、その標高は294mです。
平沢官衙遺跡の入口から県道138号石岡つくば線を500-600mほど行くと『北条大池不動チャレンジ』と書かれた不動峠アタックの水色のスタート地点を示す標識が立っているはずなのですが、今回は見落としたのが気が付きませんでした。過去に書かれていたデータでは、このスタート地点から不動峠までは距離3.8km、標高差270m、平均斜度7.1%。
不動峠へ向かうレイナ
ここまで電動アシストの調子が今一つだったレイナですが、どうした訳かこの上りに入った途端にアシストモードが全開になったようで、ビューンと飛んで行ってしまいました。おいおい!(笑)
県道138号石岡つくば線から見た宝篋山
この不動峠への上り道からもあの宝篋山はよく見えます。
上るサリーナ
レイナがドピューンと行ってしまい、コムランとミッチーもそれを追って行ってしまったので、サイダーとサリーナはマイペースでゆっくり上って行くことに。
標高265m地点より
このコースはさほど眺望はありませんが、それでも何ヶ所か下界が見えるところがあります。
これは標高265m地点で、不動峠まではもう一息。
不動明王像
不動峠まであと200-300mというところで道路下を良く見ると、不動峠の名の云われとなった不動明王像と石碑があります。ここにはガードレールの隙間から降りて行けるのですが、今日は先行部隊がいるのでまた今度。
標高270m地点
その不動明王を下に最後の踏ん張りを見せるサリーナ。
カーブ51の案内板とその先の10%の勾配
この先にはカーブ51の標識があります。この51という数字の横には峠までの全カーブ数を示す52という数字が書かれています。残すカーブはあと一つだ!
と思った矢先、すぐ先の黄色い標識には10%の表示が。そう言えば、今から数十年前に始めてこの不動峠に来た時、サリーナはこの標識にめげて足を着いたのでした。
カーブ52の案内板
しかし今はこの黄色い標識が現れたら不動峠はもうすぐということがわかっているので、最後の一漕ぎです。
52番目のカーブを廻りました。ところがその先にもう一つカーブが見えるではないですか! エッ!! ナンダコンチクショー、カーブは53あるじゃあないかよ!(怒)
そういえば、かつての標識のカーブ数は全部で30ちょっとだったような。カーブ、増えてんのぉ〜(笑)
不動峠
まあ、それはともかく、なんとか不動峠に到着です。やった〜!
レイナのバイクのアシストはどうやらトルクが低いと反応しないようで、この不動峠はバッチリだったそうな。よかったね〜
ところで、ここで待ち合わせたはずのコテッチャンの姿が見えません。どうしたのかと確認すると、早く着き過ぎてしまったので、先に行っているとのこと。
不動峠から八郷へ
不動峠はご覧のように眺望も何もない殺風景なところなのですが、最近『不動峠』と彫られた立派な石碑とサイクルラックが整備され、多少良くなりました。しかしのんびり休憩するようなところではないので、そこに居合わせた青年に写真を撮っていただいて、そそくさと八郷へ下ります。
不動峠をうしろに
この八郷側の下りは路面がかなり荒れており、さらに昨日までの大雨の影響で大量の水が流れていて、かなり走りにくいものでした。
しかしなんとか八郷に下ってきました。
辻
かつてこのあたりは八郷町でしたが現在は石岡市になったので、八郷という名は地区名でしかなくなってしまい、住居表示に現れないのが残念です。
その八郷は不動峠の側から、小野越、菖蒲沢、辻という集落が並びます。かつて小野越には二軒の茅葺き屋根の民家があったのですが、どうやらそれらは今日残っていないようです。
坂入家住宅
しかし辻の坂入家住宅は健在です。
ちょうどその坂入家の前までやって来た時、小さな子が『蛇だー!』と言って走ってきました。この子がたまたま坂入家の子だったので、お宅をちょっと拝見させてもらうことができました。大きな茅葺き屋根は数年に一度手入れしなければならないそうで、かなり費用が掛かるようでした。
辻から弓弦へ向かう
八郷は筑波山を始めとする山々に囲まれた中に田んぼが広がる、とても美しいところです。
そんなところにまだ坂入家のような茅葺き屋根の民家がいくつも残っています。
八郷から見る筑波山
筑波山は見る角度によって二つの頂の重なり方が微妙に変化して、ぐるりとその周りを廻っても飽きさせません。
ここから見るとその二つの頂は両方とも、きれいな三角形に見えます。
弓弦の民家
コテッチャンはいったいどこまで行ってしまったんだろう、と思っていると、弓弦(ゆづり)の坂道を上った先で発見。そこはいい眺めで、読書をし、昼寝をし、友だちと話をするのにちょうどよかったそうな。
この時コテッチャンが眺めていたのは辻の坂入家とよく似た、こちらも大型の茅葺き屋根の民家。というより、そのうしろにいる巨大な友だち。目と耳が見える!
月岡
弓弦の民家の前でしばしコテッチャンと話をしたら先へ進みましょう。
と言っても、午前中に宝篋山に登った面々はかなり疲れていて、だれともなく、この先予定していた八郷の茅葺き屋根の民家巡りはパスしたいと言い出しました。時間も押していたのでコテッチャンとは合ったばかりですが、月岡の小さなスーパーマーケットでアイスクリーム休憩して、石岡へ直行することに。
恋瀬川
石岡つくば線を東へ向かって恋瀬川に出ました。この恋瀬川沿いには自転車道があり、それを南下すると石岡駅付近まで行くことができます。ところがその自転車道がある左岸へ渡る橋が付近にはありません。
仕方がないので、石岡とは反対側の北に架かる一番近い橋までだいぶ走ってようやく左岸に辿り着きました。
恋瀬川自転車道
恋瀬川自転車道は対向車が来るとすれ違うのがやっとという程に狭く、この時期は土手の草がかなり伸びてきており、道を浸食し出してきているので、ちょっとワイルドです。
頂が一つになった筑波山
そんな狭い自転車道から西を見ると、あの筑波山の頂が一つになっています。
宝篋山をうしろに
そして私たちが今朝登った宝篋山の山塊も見えますが、手前の稜線に隠れているのか、天辺にあった電波塔はここからは見えないようです。
石岡駅近くから見る筑波山
筑波山の頂が二つに分かれ再び男体山と女体山になると、そろそろ石岡のまちに到着です。
反省会
今日のコースは後半の予定を変更しショートカットして恋瀬川に出るところを除けば、かなり魅力的だと思います。
序盤の『つくばりんりんロード』は土浦駅から岩瀬駅まで約40km続きますが、それを一気に走るのは少し退屈に感じるので、宝篋山の軽登山と不動峠のヒルクライムを入れてみました。宝篋山は想像以上に魅力的で、登山だけでも十分に楽しめると思います。不動峠のヒルクライムは初心者には少しきついですが、距離が短いのである程度走れる方なら挑戦してもいいと思います。その後の八郷は私がとても好きなところで、本当はもう少し廻りたかったのですが、これは欲張り過ぎだったかもしれません。八郷だけを単独で巡ってもとても素晴らしいので、また別の機会に訪れたいと思います。