『私を乗鞍へ連れてって』の序ノ口編です。東京近郊で初級者が初めて峠に挑戦するのにふさわしい、峠らしい峠というと意外と少ないです。登坂時間1時間以内、平均勾配7%以下、アップダウンはなしで上りっぱなし。上ったら下るだけ。車が少ない。という条件です。
この条件をほぼ満たしたのが茨城県の筑波山(つくばさん)近くにある不動峠でした。ということで今回は不動峠アタック!やってきたのは常磐線の土浦駅。このあたりには『つくば霞ヶ浦りんりんロード』があり、県や市がサイクリングをバックアップしており、駅ビルには自転車店やシャワールームなどのサイクリングに便利な施設が整備されています。
今日のメインディッシュはもちろん不動峠なのですが、乗鞍へ行ったら当然登山をすることになるので、今回は不動峠の南にある宝篋山(ほうきょうさん)のトレッキングを加えました。ということでまずはその登り口へ向かいます。
土浦駅から宝篋山の登り口付近まではりんりんロードが伸びているのでこれを使っても良いのですが、このサイクリングロードは一般道との交差点ごとに車止めが設置されているので特に駅付近は意外と走りにくく、また建物のすぐ横を走ることになるのであまり景観が良くありません。そこで今回は桜川沿いを行くことにしました。
桜川沿いには遊歩道が続いており、空も広くて快適です。
桜川の土手は桜並木。これは当然この時期は花は付けていませんが、その下のツツジはまだ咲いています。
桜並木が切れると、正面に宝篋山が見えました。その上にちょこっとだけ飛び出した二つの耳が筑波山。
常磐自動車道の高架橋をくぐると土手は砂利道になるので土手下の田んぼの縁を行きます。右手には桜並木がだんだん近づいてくるのが見えます。あの桜並木の下をりんりんロードは通っています。
土手下の道がカーブを描くとその先はりんりんロードでした。ここのりんりんロードの路面はピッカピカでとても走りやすいです。
このまんまりんりんロードを行ってもいいのですが、この時期は田植えが済んだばかりの田んぼがきれいなので、田んぼ道を行くことにします。
進行左手の田んぼはほんの数日前に田植えが済んだばかりのよう。右手のそれは苗が少し成長しているので、それより早く植えられたのでしょう。
その田んぼの向こう側に宝篋山。いい景色!
このあたりには麦畑もありました。最近にわか麦博士になったコテッチャンによればこれは六条大麦だそうです。大麦は穂を上から見ると放射状に実が6列(条)付くようになっているのですが、この6列すべてに実が付くのが六条大麦で、2列しか付かないものがニ条大麦とのこと。二条大麦の方がヒゲが少ないため、六条大麦よりシュッとして見えるそうな。
ちなみに小麦は実の並び方がバランバランで、ヒゲが目立たないそうです。
畑は麦ばかりではないようで、こんなふうにこれから植え付けに入るところもあります。畑や田んぼに似合うのはトラクター。田舎道に似合うのは軽トラックですね〜
田んぼ道がなくなって再びりんりんロードに出、これを進めば、右前方に筑波山が現れました、筑波山は二つの頂がある双耳峰で、左が男体山(標高871m)、右が女体山(標高877m)。
この山はこれら二つの頂の関係が見る角度によって顕著に変わるので、すぐさまどの方角から見ているのかがわかります。ここからは二つの頂ともに比較的なだらかに見え、穏やかな印象です。
りんりんロードを進んでいくと突然タキスキーが弁当を忘れたと言うので、すぐ近くを走る国道沿いにあるコンビニエンスストアに立ち寄って補給。
そして再びりんりんロードに戻って小田城跡。ここは鎌倉時代から戦国時代まで小田氏が居城としていたところで、その規模はあの宝篋山の麓までの東西約1km、南北約700mほどだったようです。ちなみに宝篋山は少し前までは小田山という名で呼ばれていました。
さて、ここからは宝篋山の登山口へ向かいます。それは山の南北の2箇所あるのですが、今回私たちが使うコースは北のそれを起点としています。りんりんロードを離れ田んぼ道をその登山口へ向かいます。
くしくもその道はまるでこれから登るのは筑波山だよと言わんばかりに、筑波山を正面に据えて進んでいくのでした。
今日登るのは宝篋山、てっぺんに電波塔が立っているこの山です。
あ〜、それにしても田んぼがきれいだ〜
私たちは今回、山口コースで宝篋山に登ります。その登山口には車が10台ほど駐車できる駐車場があります。ここにはトイレなどの設備はなく登山口として公式に案内されているものでもありませんが、集合場所としてわかりやすく自転車が停めやすいので、今日の第2集合場所にしました。
そこにやってきたのはペタッチとベネデッタ。全員揃ったところで出発の記念撮影。山口コースは2つあり、かつては出発点から二つに別れていたのですが、最近のコース案内では山口コース1である程度上ってからコース2が分岐するようになっています。
しかしコース2の序盤はまだ廃止にはなっていないようなので、私たちは登り口から山口コース2で上って山口コース1で下ることにしました。山口コース2は山頂まで3kmで平均的には2時間掛かるようです。
駐車場からごくわずかにやって来た道を戻り墓地の角まで来ると、そこに『→山口コース2』の案内標識がありました。この案内に沿って進むと程なく民家は途切れ、こんな藪の中を進んでいくようになります。なるほどなるほど、最近の案内で山口コース2の序盤がなくなっていたのはコース1に統合し、この道の管理を止める方針なのでしょう。山口コース2の序盤の路面はコンクリート舗装で視界も開けておらず、歩いてもそう楽しいものでもないので山口コース1への統合もうなづけます。
駐車場から1kmほど登ると舗装路は突然行き止まりになります。
『あれ〜、山口コース2、やっぱり廃道になっちゃたのかな・・・』と一瞬焦りましたが、どうやら奥に細い藪道が続いているようです。とにかくここで小休憩し、態勢を立て直しましょう。
藪に足を踏み入れると、最初はここ本当に行けるのかな〜と心配になりますが、すぐに空間が開き、針葉樹林の中に道が伸びています。
『ここはしっかり踏み跡が続いているので問題なく行けそうです。』と山女のマコリン。
駐車場から1.7kmほど行くと山口コース1とのバイパス路に出ました。
『いや〜、まだここかぁ〜』と昨日東南アジアからやってきた現地ガイド風なサイダー。続くは、下りはダメだけど上りはOKなコテッチャン。原始人、あ違った、こっちは本物の現地人、宝篋山は10回以上登ったペタッチ。
『山頂は右だって〜!』と叫ぶは左から、我儘女王ベネデッタ、ヤマメ・マコリン、最近宝篋山が大好きになったタキスキー。足元にある標識によれば山頂まではあと1.5km。ここまではかなり順調に来ており、予定より少し早めに登ってきました。
このコースは意外と勾配がきつく、サイダーはここまででもうへろへろ。このあとは前を行く健脚のベネデッタ、マコリン、タキスキーと徐々に間が開いていきます。その煽りで健脚のコテッチャンとペタッチもタラタラと登っていくハメに。
今日の気温は予報では最高24°Cで湿度も高くないのですが、山登りをしているとやっぱりそれなりのカロリーを消費しているので暑く感じます。コテッチャンがタオルを濡らしたいので沢はないのかな〜とボソッと言うと、その沢が現れました。みんなここでタオルを濡らしてそのあとはその気化熱で涼しくなりました。
ほどなく新寺コースとの合流点に到着。山頂まであと1.2km。
このあと周囲は針葉樹から広葉樹に変わっていきます。今回のトレッキングでは何気に写真班なシュンシュンはぴったり先頭のベネデッタをマーク。
今日は結構暑いのですが、このコースは樹種は変われどずっと森の中を行くので、木陰続きで快適です。
駐車場から3kmほど行くと小田城コースと合流します。足元の案内標識には『山頂→』が二つあり、一つは0.2km、もう一つは0.3kmとあります。
距離が短いほど勾配は急なので、軟弱サイダーとそれに付き合ってコテッチャンは0.3km方面へ向かい、その他のメンバーは0.2kmの矢印に沿って山頂を目指すことに。
0.2km方面の道はここから階段状に整備された道になりますが、そうきつくはありません。
もう一方の0.3km方面の道はなだらかで、トイレのところで前回使った極楽寺コースに合流。
そして最後の100mは階段が出てきますが、もうここまで来ると山頂から人々の気配が伝わってくるので、一気に登っていきます。
宝篋山山頂(標高461m)に到着。ここまでの時間を見てみると、登り口の駐車場を出発して1時間25分。トレッキングマップに記載されている時間より30分以上早く着きました。
さて、それはそれとして宝篋山という名ですが、それはこの山頂にある宝篋印塔から来ています。宝篋印塔は『宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)』という経典を内に収めた供養塔で、日本では鎌倉時代中期以降に造られたとされます。この宝篋印塔は、高さは2.51mで関東地方最大と言われ、花崗岩でできています。
宝篋山の山頂はこうした山としては比較的珍しく、結構広いです。そこにピクニックテーブルとベンチがいくつか置かれています。
そしてこの山頂は眺めが素晴らしい。北には筑波山がバーン。(TOP写真)
そして南東には霞ヶ浦!
この景色を見ただけでも登ってきた甲斐があったというものでしょう。
さて、景色を楽しんだらお弁当をいただくとしましょう。ベネデッタがたくさんおかずを用意してきてくれたのでお裾分けをいただきました。ごちそうさま〜
素晴らしい景色を眺めながら素敵な仲間と食べれば、どんなお弁当も普通の3倍おいしくいただけますね!
さて、お腹を満たしたら下山するとしましょう。
山口コース1に入ればそこは上ってきた山口コース2同様に木々の下で涼しいです。山頂広場にいる時は気がつかなかったのですが、この山口コース1に入ったところにもピクニックテーブルがありました。お弁当を食べている時は直射日光に照らされてかなり暑かったので、気が付いていればこちらで昼食にすることもでしましたね。
上りで使った山口コース2には眺望はまったくありませんでしたが、この下りの山口コース1は途中、ちょっとした眺望ポイントがあります。やはり眺望があるのとないのとではだいぶ印象が違います。
山口コース1の雰囲気は登ってきた山口コース2とそう変わりはないので途中を省略させてもらって、里に下ってきたところから。
正面は平沢の山でその上に筑波山がちらっと頭を覗かせています。このあと自転車で上る不動峠は手前の山の右のあたりにあります。
畑には大きな葱坊主が。このすぐ隣には葱坊主が付いていない葱が育っています。コテッチャンがどうして葱坊主があるのとないのとあるのかと聞いてきたので、たぶんこうだろうという説を言ってみました。
葱は食用にするために葱坊主ができないように管理され、それができる前に収穫されるけれど、種を採るために葱坊主を付けさせるものもあるんだよ〜 さて、これで合っていたでしょうかね。
私たちの集団の前方にガタイがいい男が一人いつの間にか紛れ込んでいます。どこかで見たような男だなと思っていると、それはなんとルビオでした。
ルビオはこのトレッキングに参加するとかしないとか言っていたのですが、結局ちょっと厳しそうだからというので参加を取りやめたのです。しかしバードウォッチングは諦めきれずに、今朝方ペタッチの車に便乗させてもらってやって来て、山口コース1を歩いたようです。ということで、ここでルビオを交え一枚。
駐車場に戻り、自転車をピックアップしてルビオに別れを告げ、宝篋山をあとにします。
この駐車場にはトイレや自動販売機といった設備がないので、そういったものが整っている平沢官衙遺跡に向かいます。
平沢官衙遺跡のすぐ近くには桜の木に囲まれた大池があります。
この池の周辺は大池公園として整備されており、南側の体育館横には大駐車場とトイレがあるので、場合によってはそちらを利用してもいいでしょう。
平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)に到着。ここは奈良・平安時代の筑波郡の役所跡で、現在その中の3棟の建物が復元されています。
これらは左から、板倉、土壁双倉、校倉のいずれも高床式の倉庫で、当時の税であった稲や麻布が納められていたと考えられています。
さて、平沢官衙遺跡で態勢を立て直したら、本日のメインイベントである不動峠アタックです。
近年はこの近くから不動峠までは公式に『北条大池不動チャレンジ』というヒルクライムコースとして案内されているようで、カーブ毎に案内標識が立つようになりました。そのスタート地点の標識は平沢官衙遺跡から少し北東に行ったところにあるので、まずはそこへ向かいます。
平沢官衙遺跡から500mほど進むとそのスタート標識がありました。この標識によればここから不動峠までは、標高差270m、距離3.8km、平均勾配7.1%、カーブ数52とあります。
その前でこれからアタックするこのコースに思いを馳せるマコリン。
ではこれより不動峠アタッ〜ク!
とは言っても私たちはタイムを競うわけではありませんから、各自のペースでボチボチ行きます。
道はスタート地点の標識を出るとすぐに上りになります。そこで電動アシストバイクをペタッチから借りたベネデッタがガーっと行きます。さすが電動!
あたしのバイクはギアが3つしかないのでゆっくり行きます。とコテッチャン。
あたしはギア6つあるからコテッチャンよりはましかな〜。今日はこのギアでどこまで上れるか試すつもりです。とこの秋に乗鞍を目指すマコリン。
このコースにはところどころに視界が開く場所があります。
序盤は先ほどトレッキングした宝篋山あたりが見えるのですが、コースの中盤にはりんりんロードあたりの平地が見えるようになります。
今回のメンバー中、一番大きな24インチの車輪の自転車で走るタキスキー。
この御仁、神出鬼没で先日も奥多摩の山中に突如現れみんなをびっくりさせました。今回は大好きな宝篋山トレッキングがあるというので参加したのですが、そのあと峠を上らされることになるとは思っていなかったようで、、、
ゆっくり上るよと言っていたコテッチャンはいつの間にか先頭グループに加わったようで見えなくなり、サイダー、タキスキー、ペタッチがよろよろとその後を追いかけます。
ベネデッタは宝篋山トレッキングがあると聞いてそこだけ参加の予定が、ペタッチから電動アシストバイクの提供を受けこの不動峠も上ることになりました。最初は電動ってどうよと言っていたのですが、乗ってみれば快適なことこの上なし。なんだか楽チン過ぎて、ガーッと上ってみんなの写真を撮りまくるのでした。
一方のペタッチは山登りはもうきついからと電動バイクを買ったのですが、ひょんなことからそのバイクをベネデッタに貸すことになってしまい、思い出深い旧車にまたがっての登場と相成りました。
実はペタッチはかつて乗鞍に上るためにこの不動峠でトレーニングを積んだのでした。あれから17年、まだわしはここ不動峠を上れるじゃろか、と思いつつ、ゆっくりペダルを踏みしめるのでした。
この不動峠は最後を除くと勾配は7%でほぼ一定。この勾配は初級者には少しきついかもしれませんが、勾配が一定でアップダウンがないためリズムが取りやすく、比較的上りやすい峠と言えます。勾配7%は上の写真がわかりやすいかもしれません。
上りだして2.8km地点。右手に宝篋山とそれから続く尾根が見えます。一番左の電波塔からさらに左に稜線は下っていますが、その左端あたりに不動峠はあります。振り返ればりんりんロードが通る、広大な関東平野も見えます。残りあと1km。
上りもいよいよ大詰めです。勾配がきつくなってきて足をつこうかどうしようか迷う頃に、右下の林の中に人工物が見えます。あれが不動峠の名の由来となった不動明王です。
こちらから見て右が不動明王像が納められた石の祠で、左は不動明王という文字が刻まれた石碑です。
ペタッチは上りの感を取り戻したのか徐々にスピードを上げ、いつの間にか視界から消えて行きました。
要所要所に立っている水色の標識がまた現れました。3.6km地点、50番目のカーブです。残りあと200m、カーブは2つ。
上の標識のすぐあとに今度は勾配10%を示す黄色い道路標識が現れました。ここからが踏ん張りどころですよ〜
ん〜ん、きつい〜!
しかしあのカーブを曲がればゴールだ〜
よろよろ〜と不動峠到着。あ〜きつかった〜
不動峠は表筑波スカイラインの高架橋の真下にあり、眺望はなくあまり環境はよくありませんが、『不動峠』と彫られた石碑があり、休憩できるようにバイクラックが設えられています。
左から、あたし不動峠上れました〜のマコリン。これくらい3速でもへっちゃらだよ〜んのコテッチャン。最後はダメでした〜とうつむくタキスキー。電動なら楽勝よのベネデッタ。電動じゃなかったけどなんとか上ったわいのペタッチ。同じバイクなのでマコリンに負けるわけにはいきませんのシュンシュン。カメラはいつものサイダーでした。
不動峠でモグモグタイムをとり、コテッチャンのなくしてないけどなくした事件で時間を使い、ちょっとおしゃべりを楽しんだら八郷に下ります。
不動峠が比較的初級者向きである理由の一つに、上ったら下ればいいだけという点があります。尾根道のようにアップダウンがあると途中でへばったらにっちもさっちもいきませんが、ここは上りの途中でへばったらやってきた道を下ればいいだけですからね。
不動峠の八郷側は筑波側に比べ路面は荒れており、かなり急勾配です。こちらからはちょっと上りたくないかな・・・
ブレーキレバーをじょうずに操作して、ゆっくり下ります。
八郷側の最初の集落は小野越。ここにはかつて茅葺き屋根の民家が2軒あったのですが、前回通った時にはなかったようだったので今回改めて調査してみました。残念ながらやはり2軒ともなくなっていました。
しかしここの静かな景色は依然として健在です。
不動峠からの道は石岡つくば線と言いますが、これはまっすぐ東へ伸びていきます。不動峠は車では上りづらいのでこの道を通る車はほとんどなく、快適に進みます。
石岡つくば線から振り返ると宝篋山と不動峠あたりが見えます。不動峠はこの写真の山がちょっと窪んだあたりにあります。
石岡つくば線がフルーツラインと交わるあたりの辻の集落で、サイダーはあらぬ方角へ進んでいきます。
複雑に曲がりくねったうねうねとした道を入っって行くと、
バーンと立派な茅葺き屋根の民家が。
このお宅の方によると建物は築130年ほどだというので、明治時代は1890年ごろの建築でしょうか。奥に茅が積まれていて、現在建物の裏側の屋根の葺き直しをされていました。
茅葺き職人は高齢化が進んでほとんどいなくなってしまったそうですが、最近ようやく一人、若い方がなってくれたので、ここ数年はその方にお願いしているそうです。
八郷はかつて八郷町でしたが現在は石岡市と合併して石岡市となり、八郷の名は住居表示からは消えてなくなり、わずかに建物や施設名などにその名を残すだけになってしまったのはとても残念です。
しかしその風景はとても美しいです。
先に筑波山とは異なる山並みが見えてきました。あれは筑波山の北側にある足尾山や加波山あたりの山並みです。
筑波山は一見単独峰に見えますが、実は南には私たちが先ほど上った宝篋山があり、北にはこんな山並みが続いているのです。
あれ〜、そんじゃあ筑波山はどこ行った? と見回すと、いたいた!
手前の山の上に筑波山の山頂がわずかに見えています。こちらから見ると男体山と女体山は小耳と大耳のように見えますね。
八郷には数は減ってきているもののまだ茅葺き屋根の大きな民家がいくつも残っています。弓弦(ゆづり)にも1軒あるので立ち寄ってみましょう。
このお宅もかなりの大きさで、先の坂入家と同じくらいありそうです。面白いことにこの建物の棟は瓦葺きになっています。ほとんど同じような造りでもこうしたディテイルがちょっとずつ違うのが楽しいです。
ここにはコテッチャンの友達が住んでいます。家の裏手にある大きな木々の中にそれはいます。今日もいるかな・・・
時は16時過ぎ。そろそろ引き上げ時です。ここからは恋瀬川に出て石岡へ向かいます。
その前にこのあたりで唯一の補給ポイントでアイスクリーム休憩です。不動峠までは結構暑さを感じていましたが、その後ぐっと気温が下がったのか、今はかなり涼しく感じます。しかしやっぱりこの季節はアイスでしょう。
アイスクリームで一息ついたら恋瀬川に向かいます。
ところであの筑波山はと言うと、ここからはその二つの頂がほとんどぴったり重なって一つしかないように見えます。
田んぼの縁を伝って恋瀬川に出ました。
この恋瀬川の土手はサイクリングコースになっており、霞ヶ浦まで続いています。
恋瀬川の土手上の道はりんりんロードほどには整備されておらず、逆にそれがあまりに人工的過ぎずにいい感じです。
道幅もぎりぎり自転車がすれ違えるくらいで、ワイルドタイトです。もっともここを走る人はほとんどおらず、すれ違うことはかなり希ですが。
恋瀬川からは筑波山もよく見えます。一度くっついた頂がちょっとずつ離れてきました。
恋瀬川サイクリングコースには高倉休憩所というポイントがあります。近年そこにショコロンファームができて、その施設の一部が高倉休憩所として解放されているようです。
きれいなトイレと自動販売機に加え、蔵を改修したこんな素敵な図書館があります。
子供といっしょに自転車でやってきて、この図書館で過ごすのも悪くないですね。
西を見れば一番左に宝篋山が、右の端には筑波山が見えます。中央は宝篋山の手前にある雪入山でしょうか。
石岡のまちが近づいてきました。恋瀬川の土手から下りて田んぼ道を石岡へ向かいます。
石岡のまちに入り石岡小学校の裏を行くと立派な門があります。この横には『石岡の陣屋門』の案内板が立っているはずなのですが、この時は何工事中でそれは隠れてしまっています。
石岡は1700年(元禄13年)に松平頼隆(水戸徳川家初代藩主の5男、徳川光圀の弟)が入封し、水戸藩の支藩である府中藩が置かれたところ。その陣屋(江戸住まいだった藩主の代わりに地元で政務をとるために設置された役所のようなもの)があったのがこのあたりなのでしょう。この門は移築されかつては石岡小学校の校門として使用されていたそうですが、ここに再移築されました。石岡はまた7世紀に成立した常陸国(ひたちのくに)の国府が置かれたところで、ここはまた常陸国府跡でもあります。
江戸時代、石岡のまちはたびたび大火に見舞われたためその時代の建物はほとんど残っていません。しかし1929年(昭和4年)の石岡大火のあとの復興で建てられた看板建築などを数軒見ることができます。それらの多くは旧水戸街道に立っているのですが、この土橋通りにも一軒ありました。平松理容店です。
この建物は一見石造風ですがおそらく木造モルタル造りでしょう。状態はかなり良さそうで、これといった修復の跡も見られないので、かなり高い技術で造られたのでしょう。
駅前通りに入って石岡駅に到着。
今日は宝篋山トレッキングに始まり、不動峠アタック、八郷散策と盛りだくさんでしたが、なんとか全員走り切れてよかったです。
うまい具合に駅前に居酒屋が見つかり、即宴会開始。あ〜、いつものジオポタだ〜(笑)
今回の難易度は自転車だけなら▲ですが、宝篋山の軽登山を加えて▲△にしました。乗鞍は不動峠の5倍! ガンバレー!